裸ってなんだろう 横浜美術館ヌード展 4/8
横浜に用事があったので、横浜美術館のヌード展に行ってきたよ。
ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館
英国テート・コレクションということで、イギリス絵画が中心。とはいえイギリスといえばめっちゃ倫理に厳しい国。清く正しくつつましく、欲望を表現するなんてとんでもない。「イギリス料理がまずいのはピューリタン的自己否定の精神から食欲を否定しているからだ」なんて話もあるほどです。
そのイギリス、しかも厳格なヴィクトリア朝から展示が始まります。どうすんのかな?と思ったら安心安全の神話画でした。
フレデリック・レイトン「プシュケの水浴」
神話画は高尚だからエロじゃない!という理屈。
こちらはウェヌス(ヴィーナス)の息子であるクピドの妻が、夫の帰りの前に身支度を整えている姿。
のちに神の仲間入りをした後は蝶の羽をもつようになるので、この時点では人間の娘なのかな?
とても美しい作品です。
厳格なキリスト教徒にとってのギリシャ・ローマ神話ってどういう扱いなんでしょうねぇ。キリストの原型とみなされたと聞きはするけれど、異教徒なことは確かなのだし。けれどエキゾチズムという感じよりは、自分たちの一部な気がするんだよね。
この時代はラファエロ前派の全盛期。アーツ&クラフト運動と相まって、庶民にもわかりやすく美しく、精神を健全に成長させるような啓蒙的な作品が目立ちます。
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ハーバート・ドレイパー「イカロス哀悼」
2016年に文化村でやったラファエロ前派展でも見た。この絵すごく美しいです。
ラファエロ前派は、光の、特に逆光の使い方がいいよねぇ。他にもイカロスの彫像もあったので人気のモチーフだったのかもしれません。
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ローレンス・アルマ=タデマ「お気に入りの習慣」
これはもう完全に、歴史画のポーズをとったヌード画ですね。目的はエロじゃないから!ないから!!という主張を感じる。
眩しい外の光が美しく、異国情緒漂う光景が綺麗。特にねぇ、この紫色の花が取っても素晴らしかった。
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アンナ・リー・メリット「締め出された愛」
これはどういう情景なのか、キャプションは特にありませんでした。不思議に引き付けられる絵です。
「締め出されたキューピッド」とも呼ばれるこの絵は、霊廟をこじ開けようとするクピドと解釈されるのが定番のよう。若くして死んだ画家の夫を偲んだ絵ということです。
よく見ると足元に矢が落ちているし、香炉っぽいものもあります。枯れた花と合わせて愛のはかなさを表現しているのでしょうか。
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ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ベッドに横たわるスイス人の裸の女性とその相手」
これはまぁびっくりの、ターナーの裸体画。
幻想的な風景画で知られる彼のデッサン帳に、このたぐいの水彩スケッチがみっちりあったということで大変驚きました。死後ターナーの遺族が彼の評判を落とさないようにほとんど焼き捨てたというのも何となく納得です。
でもこれって本当に完全に個人的なものなのかな?
実は好事家の間でひそかに出回っていたりしないのかな??
とか想像してしまうけれど、だとしたらもっと出てきてもいいだろうしなぁ。
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オーギュスト・ロダン「接吻」
巨大な大理石像。なめらかな肌の表現や意外とブロック状に掘り残された髪型など質感の対比が面白いです。ここまでになると、すげーな!しか感想が浮かばない。
これだけ撮影可能です。
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と、気になったのはこれくらい。この後はモダン画やシュールレアリズムになっていくのだけれど、そうなるともうヌードとは???な感じになっていくね。
ピカソの裸婦エッチングとか、ゲルニカよりどぎつい感じで、なんというか正直アメリカのシリアルキラーが描いた絵みたいで。子供が見たらエロじゃない理由でトラウマになりそうだなぁと思った。
近現代の作品グッツがあまりないのは、権利関係以上に芸術とは、って感じで難しいのかなぁと思いました。公式サイトで見てちょ。
面白いなぁと思ったのが、イギリスのラファエロ前派と、フランスのマティスやドガ、ボナールといった現代絵画に分類されるような作品との間が10年も空いていないことですね。ピューリタン的思想やヴィクトリア朝の厳格さが、イギリス画壇の時代を止めていたのかなぁと思う。
ハンス・ベルメールの人形本体があったのもレアだと思う。写真はよく見るけれど、人形そのものはあまり見る機会が無いよね。
なんかよくわからないなぁと正直思う作品も多かったけれど、おおむね面白かった。