家は夏を持って旨とすべし 安藤忠雄建築2つ 8/10
バブル期に建てられた安藤忠雄建設を2つ見てきたよ。
TIME'Sビル
非常にかっこよいことで有名であるが、このテナントのスカスカっぷりよ。
原因の一つは、この床の高さ。川面ギリギリだし、柵もない。子供とか、そのまま川に入ったりしないだろうか。そして恐ろしいことにこの写真ではわかりづらいが、革を背にして建物の奥に進むと下り階段がある。そう、明らかに最下層は川の水面より低いところにあるのだ。
革製品屋がテナントとして入ったが、大雨の日あっという間に浸水して在庫商品がすべて水没・全滅したという逸話を聞いたことがある。
そりゃあテナント入らんって。
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京都府立陶板名画の庭
ここに行こうかな、と一応京都画壇の一員である京都父に言ったらあからさまに難色を示された。というのもここに展示されているのがすべて名画写真を陶板に焼き付けたレプリカだからだ。
でも違うよパパン。僕はレプリカを見に行くんじゃない、安藤忠雄建築を見に行くんだ。
入ってすぐモネの複製画が水に沈んでいる。うん、この施設がやりたいこと、大体わかった。本物の絵画ではできないことがしたいんだよね。
レプリカだから全く何の価値もないかというと私はそこまでは思わない。たとえば、この絵の実物をこの角度この距離で見ることは不可能なのだから、ある程度以上精密なレプリカにはやっぱりそれなりの価値はあると思う。
まぁ、この施設100円以上は出したくないけどな。絵が少ない。
ただ、建物はめちゃくちゃカッコいいです。
ソリッドな感じが京都の殺人的な日差しにとてもよく合う。
まるでゲーム画面のようだ。
建物の壁も柱も作りたくないといった安藤忠雄、こういう住居ではない建造物にこそその真の魅力が現れるのかもしれません。自由にやっている感がとてもよかった。
京都近代建築めぐり 8/10
お盆なので、京都人と京都に行ってきた。とはいえこのご時世なので、いい年である京都父母とはご飯しただけで実家には泊まっていない。京都人には悪いけど、ホテル宿泊のほうが楽だよねぇ…
というわけで結構な時間観光できたよ。二条城とか行ったけど写真禁止だった。厚さ35cmもあるという欄間が見事であった。
そして京都の三条通りには近代建築が多いというので見てきたよ。
大体外から見ただけだからさくっとね。
辰野金吾「京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)」
さすがの辰野金吾。東京駅にテイストが似ている。
菜かも見れたけど、この奥はなんかイベントやってて見れなかった。残念。広くて美しい。
辰野金吾「日本生命京都支店」
こちらは石造り。こういうのもやってるんだねぇ。
設計者不明「家邊徳時計店」
ファッションブランドが入っていた。おしゃれ。パリのアール・ヌーボー的なデザイン。
武田五一「1928ビル(旧毎日新聞京都支局)
星をモチーフにした建物。かわいい。新聞社がこんなにかわいい必要があるのか。最高じゃないか。
吉井茂則「中京郵便局」
現役の郵便局だった。どうでもいいけど横の河合塾が京都人の通っていた塾らしく、めっちゃテンション下がっていた。
ここまでが三条通です。
残念ながら三条通は割と道が狭いので、正面から建物全体を撮影するのはとても難しい。
ヴォーリズ「東華菜館」
以前は西洋料理店だったとのこと。しかし西洋というよりはアラビアンナイトのような建物です。夕飯を食べたのだけれど、夜は写真難しいので昼の写真。ご飯すごくおいしかったよ。奇をてらわないシンプルなメニューだけど、ただうまかった。
伊藤忠太「本願寺殿堂院」
西洋風レンガ造りの上に、ガンダーラな塔が乗っている不思議な建物。
関根要太郎「富士ラビット」
素は車屋さんだったとのこと。よく見ると車の絵が窓にある。
京都人になにあれ?って聞いたら「気にしたこともなかった」って言われた。文化財慣れしすぎている。
とにかくこの夏はクソ暑く、本当に死ぬかと思った。なのでちゃんとに写真撮れてない。サクサクっと横を通って終わりな感じだった。物足りぬ…
グレーゾーン あるがままのアート 8/6
東京藝術大学といえば言わずと知れた日本最高峰の美術大学、美術における東大、入学まで二浪三浪は当たり前のエリート校なのですが。
なぜか今、アウトサイダーアートの展示をやっています。君達はファインアートの人、サロン側の人間ではないのか。
美術研究の一環としては、「誰から指導されたわけでもない衝動的な美術行動」の研究は意味があるんだろうな。
ただなんとなく納得いかないのが、こういうアウトサイダーアート展ってニアリーイコール障害者アートだよね。今回もほぼそうだし、障害がない人も精神を病んだ人だし。別に普通の人が普通に製作するアウトサイダーアートがあっても良いのでは?香取慎吾だって美術教育受けてないからアウトサイダーアーティストなのでは?障害があるから周りがそこにアートを見出すのか、なければアートの域まで達しない、というか達しなければ発表されないのか。ある程度の技量に達したら障害がない人は現代アート枠に入るのか、物になると自他が判断した時点で勉強してしまうのか。
もし幼稚園の頃お絵かき教室に通っていただけの私がアート作品を発表することになったら、アウトサイダーアーティストと呼ばれるのか。一応教育受けてることになるのか?どうなんだ?
アウトサイダーって…アウトサイダーアートってなんなんだ…
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福井 誠「無題」
こちらは先天性の障害ではなく、大人になってから精神を病んだ方の作品とのこと。その情報意味あるのかわからんけど、まぁ確かになんと言うか構成力がある気がする。バランス感覚というか、ある意味売れ線というか。しかしこの画面を埋め尽くす美しい線は確かに尋常ではないものを感じる。
でも普通に生活されているこの人はただの「画家」となにが違うのだろうか。この人にはなぜ「アウトサイダー」なのだろうか。この人かアーティストと呼ばれるのにその称号は必須なのだろうか。
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渡邊 義紘 「折り葉の動物たち」
落ち葉を使った折り紙作品。様々な動物の姿が表現されている。
本当に細かいところまでよくできていてすごいなぁと思う。落ち葉の軸もうまく利用されている。
率直になんでこんなことできるんだろうなぁと思う。こんなに細かく作り込んで、よく落ち葉が砕けてしまわない物だ。
他にも切り絵の動物があった
売店で数千円で売られていた。なかなか魅力的である。
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藤岡 祐機「無題」
正直に言うけど、これをみてギョッとした。なぜなら、私自身が子供の頃、これとほぼ同じことをしていたから。この人と違って私は紙を二つ折りにしてやっていたけれど、如何に細い簾状にするかを腐心していた。うわー、まったくおんなじじゃーん。シンパシー。
私は割とすぐにやめさせられたけど、何年もずっと続けて極めるとこれだけのものが作れるようになるんだなぁと感心した。
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松本 寛庸「世界地図」
手が巨大な世界地図。
大きな紙に色鉛筆で隙間なく埋め尽くされた国々。区分けと地区には相関する意味はなさそうだ。大体均等なサイズに塗り分けられている。とても綺麗で魅力的な作品。
見てて、なんかちょっとわかるなぁって思った。色鉛筆の栓が残らないぐらいグリグリと紙にねじ込むように塗ると、ちょっと透き通った感じがしていいんだよね。最初に強く描いてしまうとそこが目立つから均等に擦り込むのが難しいんだよなって。
海が点描であらわされているのもきれいです。
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金崎 将司「見つけられたもの」
広告の紙を切り、ボンドで貼り重ねていった立体作品。
糊の水分で紙が溶けて一体化し、まるで紙粘土のように見える。しかし存在感は粘土の比ではない。どこからどこまでが一枚だかわからない紙はそれぞれ鮮やかな色のはずなのに、こうして見ると灰色にしか見えない。全ての色が混ざり合うとこうなるのか。クトゥルフの神話で蠢くなにかのようだ。手にとったら重いんだろうな。
表面を研磨するのは福祉施設の職員からの提案だという。アートセラピーは美術教育に含まれないのかな。
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戸來 貴規「日記」
文字の一部が伸び、歪み、塗りつぶされている。パッと見模様のようで、アフリカの文様のようにも見える。
私もなんか文字の一部塗りつぶすのやったなーって思った。この人とはやり方違うけどさ。私の場合は囲まれているところを塗るの。「の」の左側とか、「文」の中央とか。
たぶん慣れれば普通に読めるんだろうなと思う。
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見ていて「あー、これ私もやってたわー」ってやつが多くて、また、まるで子供が描いたような作品も多くて、色々考えさせられた。子供がやっている手遊びは他のことを覚えたり、それこそ才能を見出されて専門美術教育を受けたりして、割と短時間で終わってしまう物だ。でももしそれをやめずに何年も、時には何十年も続けていたなら、これだけ上達して芸術の域に達することもあるのだなぁと感心した。
しかし同じくらい、余りにも「あー、やるよねこれ」って気持ちがわきすぎてちょっと不安というか自分が信用ならなくなった。何度か書いたけど、本当にこういうのやってたんだよ。一つも残ってないけれど。そしてこういうことをして一人遊びをしていると、親は本当に嫌がった。というか、親曰く『頭がおかしく見える』ことを非常に嫌った。端的に言うと、集中してるときとか口開けっ放しだと尋常ではない勢いで怒られた。
親戚に、まあまあ重度知的障害の人がいたから過敏になっていたのだろうけれど、本当に私のしていることが割と似ているのでそりゃ過敏にもなるわねぇと30年越しに妙に納得のいった展示であった。
だから、ちょっと気になってはいる。子供はみんなこういうことをするのか、単に私がボーダーの子だったのかどうかが。
どうなんだろうな。
完全に理解した オラファー・エリアソン ときに川は橋となる8/2
やっと晴れたので、現代美術館に行ってきました。
ここ来るの、初めてです。現代より近代のほうが好きだからなぁ、基本は。でもすごく気持ちのいい建物だったし、他に2つやってた展示も面白そうだからまた行きたい。
あと、周辺の清澄白河がめっちゃいいお店大量だったから研究が必要。
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「クリティカルゾーンの記憶(ドイツ-ポーランド-ロシア-中国-日本)」(部分)
作品をトラックで運んだ軌跡の作品。白い紙をトラックの荷台に敷いた上に茶色の枠を置き、その上に黒いチョーク的なボールを置いて、転がった痕が紙に残るようにした作品だそうです。日曜美術館でやってた。
どう言う基準で紙を交換したのか、真っ黒になっているのもあれは白っぽいのもある。見ているとなんとなく世界地図みたいに思えてくるから不思議だ。
京都人がやたら長いこと見てるから気に入ったのかと思ったら、「あんま気に入らなかった。ただ、どこから書き始めたのか探してた」言ってて変な人だなと思った。
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「人間を超えたレゾネーター」
小さな光が反射し、屈折し、驚くほど大きくくっきりした光輪を投げかけている。
ライトをすぐ正面の円盤で遮り、その外側に漏れた円周の光を輪になったレンズで捉え、強いリング状の光に変えている。同心円状の光の輪がとても美しい。
灯台の原理を応用しているそうです。フレネルレンズなのかなぁ?よくみるとリングに段がある気もするけどよくわかりません。
ここで、ん?って思うわけです。オラファー・エリアソンってエコでサステナビリティな現代アート作家ってことになってるけど、違わない?って。
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「おそれてる?」
原題が「Who is afraid」なのにこの日本語おかしいよね…これだと「"あなたは"おそれてる?」になってしまう。「誰が恐れているの?」だよね直訳だけれど。けど現代のニュアンスにWhoの中にあなたは入っているの?というのも含まれるのだろうか。だったら「おそれているのは?」とかさぁ。
液晶とハーフミラーを組み合わせた円盤を使用しています。その液晶はそれぞれ赤青黄という三原色を透過するよう作られています。円盤を透過して奥の壁に当たる光と円盤から反射して反対側に投影される光とが反対色になっています。まぁ理屈ですよね。円盤に投影されている白色光は全ての色を含む光なので、その一部のみを反射させれば、残りが透過されるわけです。白色光を二つに、透過光と反射光とに分けたならば、それぞれには相手の波長色は含まないわけですよ。透過光は円盤の影なので、三原色が重なったところは黒くなりますね。それで面白いのがただの色付きフィルムではなくて液晶を使っているところで、光源から出る光の方向は変わらないけれどこの円盤が回ることで当たる角度が変わり、反射光透過光の色が変わるんですよ。それで最高なのが円盤が光の向きと並行になる時で、円盤の縁から光が入ることで液晶を通過せず、白色光の反射と無彩色の影とが重なるのが本当に面白い(ここまで早口)
僕と京都人はガチクソ理系なのでこう言うのをみると原理の解明の方で盛り上がってしまう。特に僕は大学で高分子や液晶をやってたこともあり、熱くなりがち。だいたい原理は理解したと思う。
てかオラファー・エリアソン。きさま、光学好きなただの理系オタクだな?エコな理屈、後付けだろ?
作品はICC | 《RGB|CMYK Kinetic》 - アート+コム (2015)を思い出すね。
全然違う作家のだけれど美しいから動画を見るがよい。もっと長い動画がほしい。
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「9つのパブリック・プロジェクトの記録写真」より「30秒間の鏡」
ほらー!エコ関係ないじゃん!鏡が面白くて試しまくってるだけじゃん!!!
不思議な鏡像ですが何をやっているかというと、ドーナツ状の鏡を持った人が3人、それぞれ互いに垂直になるように立っているそうです。中段右端の写真がわかりやすいですね。そうするとこんな面白い写真が撮れるのだと。
他にも鏡を街の至る所に置いてみたり、トラックの荷台に巨大な鏡をつけて街を一蹴させてみたり。
鏡というのは向こうを映さずにこちら側の情報をすべて跳ね返すものであるから自己と他者との境界であり、同時に思いもかけない場所の情報をこちらに伝えてくれる伝達手段でもある。自分と他の人との断絶とつながりを表すもの、自己の輪郭を表すものである。
でも、光学オタクなんでしょ?エリアソンさん。
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ときに川は橋となる
表題作ですね。水の入ったお盆を、周囲からスポットライトで照らしています。
そしてそれが上部の壁ぐるりに投影されている。水面は時に激しく波打ち、投影された光も思いがけないほど姿を変える。立体感を持ち、まるで踊っているかのように。
見ていて、禅だなって思った。すごく美しく、見ていてとても穏やかな気持ちになります。空港とか、ホテルのロビーとかにあって欲しい。壁際にいすを置いて、これを眺めながらお茶したい。
見てるとホスチアのことをちょっと思い出す。意図してはいないだろうけれど。
ワンタンの皮でもいい。
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「昼と夜の溶岩」
39秒から映るやつです!
こちらのブログさんでも紹介されてます!
いや、めっちゃよかったんですよこれ。めちゃくちゃ面白かったんですよ。
円錐状の凸面鏡のまえに半分白く塗られた溶岩がつるされているんですけれど、横から見てもその溶岩の姿が見えないのです。それなのに真正面から見ると、鏡一面が溶岩で埋まってしまう。
この理屈はですね、鏡が円錐状だからなんですね。光って鏡に対して入射角と反射角が同じになるじゃないですか。だから鏡が斜めってると自分の目線の反対側しか見れないわけじゃないですか。それが円錐だから一周して、鏡の上部には足元が、株には天井が写って上下も反転するのが面白いですよね。だけど鏡の真正面に映っているものはそこからの光が(ほぼ・角度ついてるから)垂直にしか反射されないから、斜めに見ることはできないんですよ。理解した。完全に理解した。ちょっと図示してみたから伝われ。伝わるんだ(早口
こうだよこう。どうしても中心を通る光は斜めにいかない空白のスポットが出てくるんだよ。
胸像がめちゃくちゃ立体感あるのも面白くて理屈を理解した時のアハ感もすごくてめっちゃ興奮して……写真を撮り忘れたんだよ!悲しい!!!動画を取るべきだろこれは!!!!!
あとから京都人に「この人は何を興奮しているんだろうって思った」って言われた。うん、ごめん。
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展示、英語公式サイトが面白いので見るといいです。
反省点としては、途中から視点がアート鑑賞ではなく、科学技術館を見に来た人になってしまった。作りの面白さに夢中になって、だから何を表現しているのかみたいなのを感じるまでいかなかった。
昼と夜の溶岩、「問題は斜めからでなくて真正面から見据えないといけないんだね」って京都人が感想を言っていて、俺は…おれはいったい何を見ていたんだ…って気持ちになった。
落ち着き、大事だね。
作者と解釈違い 開館記念展 珠玉のコレクション 7/29
私事だが、うちにはプリンタがない。基本的にこのネット社会でプリントアウトしたいものはなかなかないし、今まではどーしても印刷しなければならないものがあったら、職場のプリンタでこっそり印刷すれば済んでいたのだ。
しかしこのコロナである。職場プリンタが使えない。仕方ないので最近はコンビニのマルチプリンタを使用している。高いが仕方ない。
そしたら突然、百枚ほどカラー印刷をする必要ができてしまった。コンビニでこれをやると、普通に五千円かかる。
ふぁーっく!!!
仕方ないのでわざわざ交通費をかけて新宿のセルフプリントサービスに行ってきた。だってそしたら二千円代で済むんだもん。
と言うわけでなんの関係もない前置きが長くなったが、もう定期もないのにわざわざ新宿まで来て直帰は無いわ〜となったので行ってきたんだよ、SOMPO美術館。
もともと新宿西口の損保ジャパン日本興亜損保ビルの上階にあった美術館ですが、今年リューアルが完了しました。メインビルの横に五階建ての小さなビルを建て、美術館として専有しています。象みたいでかわいい。元々は一階を地域に開放したかったんだろうなあと言うコンセプト図を見るとちょっと悲しくなるが、普通にコロナなので日時指定券を買わないと入れない。平日の午後だからか、普通に当日チケット取れたよ。フロアに5人くらいしかいなかったよ。
今回は所蔵品展と言うことでちょっと期待してたんだけど、基本的には撮影禁止でした。ちぇっ。FACEの受賞作とか前撮影できたじゃんかよ〜とか言っても仕方ない。
数点だけ撮影できたよ。
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ポール・ゴーギャン「アリスカンの並木道、アルル」
すっごい綺麗。ずっと見てられる。秋の田舎町、紅葉、そして積もる落ち葉。時間のとまったような世界で、落ち葉の輝く道だけがまるで川のようなこちらに流れてくる。控えめな輪郭線が全体を整えているが、イラスト感があるともいえる。画面の上半分に関して言えば非常に大人しく、彩度を落として落ち着いたトーンであるのに対し、地面から迫る色彩の奔流が非常に心に迫る。あっさりしたタッチなんだけどぐわーってこっちに流れ落ちてくるものがあるんだ。
最近読んだ本に絵を見る視点として「この絵は左右どちらから見たほうが良いか」と言うのが書かれていたのだけれど、この絵に関しては右側かしらね。この色彩の流れを直接浴びて押し流されたいと思う。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール「浴女」
こちらは今回の展示に合わせて修復をしたそうだ。作業前後の写真がかかっていたが、ぱっと明るくなっているのが印象的だった。そう、油絵って古いの表面が黄変するんだよね…
さらりと描かれた、後期ルノワールらしい絵だ。全体的にふわふわとして夢の中のような世界。近景も遠景もないような画一的なトーンで描かれた不思議なシチュエーションの背景だが、リズム感があって良いと思う。
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グランマ・モーゼス「夕暮れ、森のキャンプ」
グランマ・モーゼスの珍しい刺繍絵。
いきなり個人的な趣味を言うけど、私、グランマ・モーゼス嫌いなんだよね。初めてこの人の絵を見たのは中学の英語の教科書だったと思うけど、その頃から嫌い。アウトサイダーアーティストとしても迫力ないし、ファインアートとしてはもちろん実力が足りない。アーリーアメリカン、大草原の小さな家的な世界観で当事者作品としては意味があるかもだけど、芸術的には無駄にチヤホヤされてると思う。単純に下手じゃん。(言い過ぎ
しかし、この絵はいいなぁと思った。そしてもう一枚、夕暮れを描いた絵もちょっと良かった。
彼女の絵は基本的に本人の楽しい思い出なのだろう。青空の下、素朴な町の中に遊ぶ人々が描かれているものが中心だ。だけど私は彼女のその手の作品があんま好きじゃない。
私が彼女の作品を取り扱う画商だったら「もっと赤い絵、人のいない絵、夕暮れや夜の炎を描きなさい」っていうんだけどな。
とはいえ、大人気作家であるグランマ・モーゼスの人気シリーズにケチをつけるこちらがおかしいというか、少数派なんだろ、けっ、ってのは理解してるよ。
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東郷 青児「パラソルさせる女」
曲線で構成された女性像。かわいい。色がおよそ人物画に使う色じゃないのもいいし、構成がデザイン的というか、まるでブロンズ像みたいなところもすごくいい。
時代的にというかジャンル的には、キュビズムの絵ということになるらしい。
東郷青児は当時はやっていたキュビズムやシュルレアリスムの絵をたくさん描いていて、とても評価が高かったそうだ。その時代の絵を見るといかにも日本人が描くキュビズムの典型だなぁとはおもうものの、とても美しい作品だった。
また、今回は彫刻が2作品あって、特に「傾斜」という作品が良かった。具体的に何というわけでもない抽象的な作品だったが、私はオーバーサイズのコートを風になびかせて進む女性のように見えた。風を切ってかっこよく歩く女性のようでとてもよかった。
しかし、東郷はこのての作風をあっさり卒業して、よく知られている美人画ばかり描くようになる。
ばかり、という言い方はよくなくて、かれの美人画は大人気なんだからそっちに進んで正解といえば正解なんだけどね、私が好きじゃないんだよね。Not For Meなんだよね。
私が身近な人間だったら、「もっと抽象と彫刻をやれ」っていうのにね……大きなお世話だってわかってはいるけどね……
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撮影不可でポストカードもなかった作品としては、紘規 宮里の「WALL」という作品が良かったです。隅に小さく描かれた人物の前に、広告を細く刻んで貼り付けた巨大な壁が迫っているミクストメディア作品。とてつもなく巨大な情報の洪水に阻まれて、前に立つ人物が途方に暮れているように見える。すごくよかった。
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あと、今回初めて東郷青児の自画像を見たんだけど、すごかった。すごかった。
なんというか、「すごいよ!マサルさん」だった。
いや、あえてこういう作風で描いてるってことはわかるけど、それにしてもすごかった。
私は、その横にあった岸田劉生の自画像がかなり好きです。
何とかして手に入れたい JIZAI 満田晴穂個展
※虫注意
情熱大陸は見ているか?
というわけで、自在置物ですよ自在置物。アツい!!!!
いやー、前々から自在置物欲しいなぁって思ってるんですよね。
絵画とかも欲しいなぁとは思うけどさすがにいいやつはケアできないなって思うし、リトグラフとかだと写真印刷ポスターでもいいかなぁって思っちゃうんだけれど、自在置物だけは欲しい。本物がほしい。
だって、自分で所有しないと動かせないじゃん。自在にいじれない自在置物、彫刻と変わんないじゃん。
いやまぁ、ヤフオクとかで売ってるのは知ってるんだけどさ。普通に写真からして「室町時代とか言ってるけど明らかその辺で売ってるおもちゃだろ」ってクオリティだったりするからさ…2万超えるもんヤフオクで買うの不安あるなとも思うし。
というわけで、個展に行ってきた。
さすが日本橋三越様である。普通に自在置物が売っている。
今回は先着ではなく抽選販売ということで、初日ダッシュとかはせず普通にゆっくり見に行きました。
以下すべて満田晴穂さんの作品です。
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「自在大女郎蜘蛛」
うわー、キモチワルイ(褒めてる)
この展示方法もカッコいいですよね。上からぶら下げるとかもう本物にしか見えない。
女郎蜘蛛のお尻から蜘蛛の糸、ワイヤーが出ていてそれでぶら下がっています。
蜘蛛のお尻、赤くなってるね。本物も赤いんだろうね、たぶん。知らんけど。
……なんで最初に虫注意って書いたかっていうとね。
私自身が虫めっちゃめっちゃ苦手なんだよね…
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「自在大蚰蜒」
あー!これは無理!むりむり!
これはねーむりですねー。家にあったら見るたびヒッてなるし、猫が狩ろうとして暴れるやつですねー。
リアルすぎて怖い。マジ。
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「自在葦原蟹1・2」
というわけで、こちらの蟹さんを購入申し込みしました。丸っこいフォルムが可愛らしく、リアルな蟹です。
足とかどういう感じで動くのかなぁって触りたかったんだけどさ…
もちろん抽選には落ちたよね。ちぇっ。
またいつか購入のチャンスがあるといいなぁ。
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自在置物、本気で欲しいです。虫はちょっと怖いから、甲殻類か魚、でなければ蛇とかが欲しい。そのうち個展とかでまた見ることができたら、ノータイムで購入したいと思う。
それまでは、海洋堂のトルメキア兵自在置物で遊ぶもんね
なにがどうしたらこうなるの 和巧絶佳展 7/22
現代工芸が好きだ。
民藝調のやつや伝統的なものをやってる現代作家ではなく、歴史や伝統技術を踏まえた上で新しいことをやってる人たちが好きだ。スタイリッシュで都会的なやつが好物だ。
大量生産も簡単にできて3Dプリンタも手頃になってきた今わざわざ工芸をやってる人、それを専業にしている人達はみな、まあまあ変態的に技術が高い。今回展示されてる作家さんたちは、その前提をさらに超えてやべぇとしか言いようのないクオリティである。
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桑田 卓郎「空桃色化粧梅華皮志野垸」「黒化粧梅華皮志野垸」
桑田 卓郎「空色化粧白金彩梅華皮志野垸」
ほら、やべえ。
最初見たとき、どうやって作ってるのか全くわからなかった。パンクの地に白いのが細い線でつながっているのだから、内側と外側を別に作ってくっつけてるのかな?て思った。特に完全に金属にしか見えないバージョンは絶対後付けだろー?って。
しかし、会場外で流されてるインタビュー動画によると、すべて焼き物らしい。しかも、一度の焼成で出来上がるというのだ。
外側の部分は特殊な釉薬で、焼いているうちに半ば流れ落ちつつ硬化するのでこうなるらしい。
うん、わからない。まったく。
梅華皮とかいてカイラギと読むのですが、これはいわゆる梅華皮なのか…?違うよね。
焼いている最中を動画で見てみたいものだ。
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深堀 隆介「百船」(ももふね)
既に何度か展示を見た、金魚シリーズ。フィギュアではなく、セル画のように何層にも分けてアクリル樹脂を流し込んではその上に金魚を描く、という作品です。20層を超えるものもあるのだとか。
今回は升に入ってるのがメイン。透明容器も好きなんだけど、これはこれで。
とても大きな箱にたくさんの金魚が群れ動いています。
ここが好き。もちろん葉っぱも全部手書き。
波紋の表現はアクリル樹脂の良さですね。
しかしこれ、水底の層から下書きもなしで描いてるんだよなぁ。どうしたらそんなことができるのか。
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池田 照将「Neoplasia-engineering」
池田 照将「百千電脳図飾箱」
池田 照将「電脳六面尽飾箱」
全部螺鈿です。どうかしてる。細かすぎて写真が撮れない。
電脳図飾箱とか、名刺入れにしたらめっちゃ欲しい人多いんじゃないかなぁ。私はこの最後の六面のが欲しいです。ロボットアニメみたいじゃない?主人公がこれを手にすることから冒険が始まりそうじゃない?私が幼児の頃これを見つけたら、絶対この世のものじゃ無いと思うだろうよ。
ところでこの展示を実際見る前に、友人とこの箱たちの中身は何色なんだろう?という話をしました。漆の螺鈿箱なのだから、普通に考えれば朱漆か黒漆ですよね。でもなんか一捻り欲しいじゃない。個人的には黒色無双がいいんだけどなぁ。バグっぽくて。
蓋を開けたところは展示されていなかったので、確認は持ち主さんだけの特権です。欲しい。
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見附 正康「無題」
アラビアンナイトのような、モスクのような赤絵。こちらも下書きどころかデザインの構想もなしに一発描きだそうです。作りながらデザイン決めてるんだって。
ところでこれは大鉢なのですが、中心、一番深いところどこだと思います?
柄の中心、左側じゃないんだな。普通に円の真ん中が中心です。皿の形の中心と、がらの中心がずれている。
脳が混乱するよ。
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山本 茜「渦」
今までの作品も大概「なんでこんなことができるんだ意味わからん」と思いながら見ていたけれど、この作品が一番どうやって作っているのかわからない。
ガラスの中に金属の板が封入されているのだそうですが、金属すごく細かいカッティングがされているんですよ。よくヨレないなぁって。
よーく見るとガラスにラインが入っていて、分割しながら作成しているんだなということはわかりますが、それでもやっぱものすごいなと思う。これは円錐に平面が封入されているけれど、球体の表面に沿うようになっているのもあってすげええってなります。
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写真撮影OKの展示だったのですが、とにかく仕事が細かくて全然きれいに撮影できなかった。そして必要だろうなと思って単眼鏡持っていったのだけれど、それでもよくわかんないなってくらいこまかかった。