人の金で美術館に行きたい+読

美術館に行った話とか猫の話とかします。美術館に呼んでほしい。あと濫読の記録。




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グレーゾーン あるがままのアート 8/6

東京藝術大学といえば言わずと知れた日本最高峰の美術大学、美術における東大、入学まで二浪三浪は当たり前のエリート校なのですが。
なぜか今、アウトサイダーアートの展示をやっています。君達はファインアートの人、サロン側の人間ではないのか。

www.nhk.or.jp

美術研究の一環としては、「誰から指導されたわけでもない衝動的な美術行動」の研究は意味があるんだろうな。 

ただなんとなく納得いかないのが、こういうアウトサイダーアート展ってニアリーイコール障害者アートだよね。今回もほぼそうだし、障害がない人も精神を病んだ人だし。別に普通の人が普通に製作するアウトサイダーアートがあっても良いのでは?香取慎吾だって美術教育受けてないからアウトサイダーアーティストなのでは?障害があるから周りがそこにアートを見出すのか、なければアートの域まで達しない、というか達しなければ発表されないのか。ある程度の技量に達したら障害がない人は現代アート枠に入るのか、物になると自他が判断した時点で勉強してしまうのか。
もし幼稚園の頃お絵かき教室に通っていただけの私がアート作品を発表することになったら、アウトサイダーアーティストと呼ばれるのか。一応教育受けてることになるのか?どうなんだ?
アウトサイダーって…アウトサイダーアートってなんなんだ…

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福井 誠「無題」

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こちらは先天性の障害ではなく、大人になってから精神を病んだ方の作品とのこと。その情報意味あるのかわからんけど、まぁ確かになんと言うか構成力がある気がする。バランス感覚というか、ある意味売れ線というか。しかしこの画面を埋め尽くす美しい線は確かに尋常ではないものを感じる。

でも普通に生活されているこの人はただの「画家」となにが違うのだろうか。この人にはなぜ「アウトサイダー」なのだろうか。この人かアーティストと呼ばれるのにその称号は必須なのだろうか。

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渡邊 義紘 「折り葉の動物たち」

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落ち葉を使った折り紙作品。様々な動物の姿が表現されている。
本当に細かいところまでよくできていてすごいなぁと思う。落ち葉の軸もうまく利用されている。

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率直になんでこんなことできるんだろうなぁと思う。こんなに細かく作り込んで、よく落ち葉が砕けてしまわない物だ。
他にも切り絵の動物があった
売店で数千円で売られていた。なかなか魅力的である。

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藤岡 祐機「無題」

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正直に言うけど、これをみてギョッとした。なぜなら、私自身が子供の頃、これとほぼ同じことをしていたから。この人と違って私は紙を二つ折りにしてやっていたけれど、如何に細い簾状にするかを腐心していた。うわー、まったくおんなじじゃーん。シンパシー。

私は割とすぐにやめさせられたけど、何年もずっと続けて極めるとこれだけのものが作れるようになるんだなぁと感心した。

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松本 寛庸「世界地図」

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手が巨大な世界地図。

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大きな紙に色鉛筆で隙間なく埋め尽くされた国々。区分けと地区には相関する意味はなさそうだ。大体均等なサイズに塗り分けられている。とても綺麗で魅力的な作品。
見てて、なんかちょっとわかるなぁって思った。色鉛筆の栓が残らないぐらいグリグリと紙にねじ込むように塗ると、ちょっと透き通った感じがしていいんだよね。最初に強く描いてしまうとそこが目立つから均等に擦り込むのが難しいんだよなって。
海が点描であらわされているのもきれいです。

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金崎 将司「見つけられたもの」

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広告の紙を切り、ボンドで貼り重ねていった立体作品。
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糊の水分で紙が溶けて一体化し、まるで紙粘土のように見える。しかし存在感は粘土の比ではない。どこからどこまでが一枚だかわからない紙はそれぞれ鮮やかな色のはずなのに、こうして見ると灰色にしか見えない。全ての色が混ざり合うとこうなるのか。クトゥルフの神話で蠢くなにかのようだ。手にとったら重いんだろうな。

表面を研磨するのは福祉施設の職員からの提案だという。アートセラピーは美術教育に含まれないのかな。

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戸來 貴規「日記」

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文字の一部が伸び、歪み、塗りつぶされている。パッと見模様のようで、アフリカの文様のようにも見える。
私もなんか文字の一部塗りつぶすのやったなーって思った。この人とはやり方違うけどさ。私の場合は囲まれているところを塗るの。「の」の左側とか、「文」の中央とか。
たぶん慣れれば普通に読めるんだろうなと思う。

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見ていて「あー、これ私もやってたわー」ってやつが多くて、また、まるで子供が描いたような作品も多くて、色々考えさせられた。子供がやっている手遊びは他のことを覚えたり、それこそ才能を見出されて専門美術教育を受けたりして、割と短時間で終わってしまう物だ。でももしそれをやめずに何年も、時には何十年も続けていたなら、これだけ上達して芸術の域に達することもあるのだなぁと感心した。

しかし同じくらい、余りにも「あー、やるよねこれ」って気持ちがわきすぎてちょっと不安というか自分が信用ならなくなった。何度か書いたけど、本当にこういうのやってたんだよ。一つも残ってないけれど。そしてこういうことをして一人遊びをしていると、親は本当に嫌がった。というか、親曰く『頭がおかしく見える』ことを非常に嫌った。端的に言うと、集中してるときとか口開けっ放しだと尋常ではない勢いで怒られた。
親戚に、まあまあ重度知的障害の人がいたから過敏になっていたのだろうけれど、本当に私のしていることが割と似ているのでそりゃ過敏にもなるわねぇと30年越しに妙に納得のいった展示であった。

だから、ちょっと気になってはいる。子供はみんなこういうことをするのか、単に私がボーダーの子だったのかどうかが。
どうなんだろうな。