きらきらひかる 三瓶玲奈
オペラシティ所蔵品展2つ目。こちらは規模の小さいミニ展示。
project N 69 三瓶玲奈 MIKAME Reina|東京オペラシティ アートギャラリー
公式サイトに結構詳しく作品解説がある。
全体的に、すごく明るい。作品がじゃなくて、展示スペースが明るい。え、美術館ってこんなに明るくていいの?美術品が飾ってあるけど??てくらい明るい。
それも、太陽光がしっかり入ってくる明るさだ。一応UVカットガラスとかなんだろうけど、それでもいいのかな?って不安になる程度には明るい。
けど作品を見てるとその明るさがとても似合っていていいなと思う。
Park
公園の池を描いたものだそう。
Parkというタイトルを読んで、噴水かな?って思った。静かだけどすごくキラキラして、明るく爽やかな感じのする絵だ。
色違いが何枚かあった。(個人的にだが、同じ絵がいっぱいあるのは二匹目のドジョウ感がしてあまり好きではない)
光の距離
公式サイトによると、抽象画ではなく鉱物の反射光を描いた具象画とのこと。
こうして画像で見るとなるほどなーくらいだけど、実際に光が当たっていると絵の具の盛りや筆跡に太陽が反射してなかなかいい気分になる。
Untitled
この展示については小さなパンフ1つとハガキという、よくある個展セットが用意されていた。
オペラシティアートギャラリーは企画展が全然好みに合わないんだけど、時々は所蔵品展にきてもいいなと思った。
なんせ、こんだけ見て200円なんだもの。
まどろみの中へ 難波田龍起
韓国の抽象を見るついでに所蔵品展も見た。
入ってすぐにくれるパンフがカラーなのでまたびっくりだ。
めっちゃ豪華じゃん…所蔵品展だけだと200円とかまじかよ…大小あわせて69点とかいっぱいあるじゃん…
ついでにさらっと見ようってボリュームじゃなかったです。
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春の歌
初期の作品です。なんか、なんかどっかで見たことあるような、よくある抽象画のような。
ジョルジュ・ブラックっぽいね。
初期作品はこういう、ありがち感が強い。シャガールっぽいのとか。
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しかし、1980年頃を境に独自性が出てきてすごくきれい。
最初に見てうぉ!ってなったのがこれ。
古代の夢C
曖昧模糊な夢の世界の中で、打ち棄てられた城が遠くに見える。
眠れる森の美女のような印象。まっくらもりの歌みたいな。
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暁
こちらも燃えるようなくれないの中、浮かび上がるのは海にそびえたつ岩壁か、打ち棄てられた街並みか。
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なにが描かれているのかよくわからないのがいいと思う。
センチメンタルな印象画かもしれないけれど、自分だけのおとぎ話がその中に見て取れる。
こうして1枚1枚とじっくり向き合うのもいいけれど、長い壁にいくつもいくつも架けられているところで、歩きながら見るのがよい。
絵の中に何かが見えたような気がして、引き返してもさっきちらりと見えた何かはもう姿を消している。そういうシュミラクラを楽しみたい。
寒色でも温かい印象の色使いが多く、控え目で圧が薄いのもそういう見方に向いている。
あまり有名な作家ではないようだけれど、結構好きです。
200円くらいの薄い図録売ってたから買っちゃった。
求められる理解 韓国の抽象
東京オペラシティに、「単色のリズム 韓国の抽象」を見に行った。
日曜日は写真撮影可能ということで、もちろんカメラを担いで行ったよ。
どうでもいいけどカメラを「担ぐ」って慣用句、現代の小型カメラにはそぐわないなぁ。閑話休題。
入ってすぐにもらえるのがこの冊子。スタイリッシュ。
しかもフルカラー!びっくりした。え、ここ1200円しかしないのにこんな豪華でいいの?全然客入ってないけど??
静謐な作品が多いせいか、展示室には作品と作者名・作品名しか表示されていない。作者がどんな人なのか、作品はどうなのかといったことはこの冊子を読みながら鑑賞することになる。作者一人に対して見開き1ページ、略歴や解説が半分と1つの作品の写真が載っている。
こういうのいいねぇ。
先に文字情報が入ってくるとどうしてもそちらに引きずられてしまうから、まず好きに見て追加情報をもらうというのは特に抽象絵画にはありがたい。
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写真付き冊子があるなら別にカメラ持ってこなくてもよかったなぁと思ったけど、そんなこと無かった。全作品は載っていないし、今回の展示の特徴としてテクスチャが面白いものばかりだったから。
例えばこれ。
河錘賢 接合
解説にあるように、裏から絵の具を裏ごしする感じに押し出した作品だ。けどこの写真じゃわかんないよねぇ。
横からこうやってみると、結構厚みがあるのがわかる。
う~ん、このブツブツがかなり気持ち悪い。
押し出した絵の具を部分的に均して表面を作り上げている。
展示はこんな感じ。綺麗だね。
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権寧禹 無題
こちらは韓紙を切ったり重ねたり裏に何かを入れたりしている。
綺麗と気持ち悪いの間。これ、だめな人だめだろうなって写真を見ると思う。
実物はここまでコントラストを感じないからそれほどでもないんだけど。
薔薇の花みたいだなぁって思ったよ。
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尹亨根「Unber-Blue]
これ、すっごく韓国っぽい。
複数の色を重ねて滲ませて、まるで乾いた血のような色を作り出している。
この写真を見せたら2人が「恨みでも表してるの?」って聞いてきた。わからないでもないw
抽象画って結構お国柄が出る気がする。
ヨーロッパ系ならカラフルだし、日本ならなんか陰鬱としている。
韓国はこういう感じ。静謐で張り詰めた打ちっぱなしのコンクリートや麻布のような印象があると思う。
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朴栖甫「描法 No000212」
このシリーズ好きだ。表面に絵の具を厚く盛り上げ、ヘラ等で地模様を作っていく。
シャープな感じがいい。
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李禹煥 「線より」
メインビジュアルになっているもの。シンプルだけれど色がとてもきれい。
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崔恩景「Beyond the Colors #69」
フレスコ画のような色。この水色とても好きです。欲しいな。
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いろいろ見て面白かったけれど、綺麗で面白いなぁで終わってしまうよね。抽象画ってそうなりがち。
「世界の川の砂を使用することで民族の歴史を表現し…」みたいな作品もあったけれど、それって結局自己満足だよなと思った。
だって、それがどこの砂かってのは見ている人にはわからないから。
説明が必要なら、それは作品だけで完結していないってことじゃないかな。
気に入った「描法」シリーズとかも実験結果のようだ。その結果の完成系な感じがしないのだ。
ならば抽象の完成とは何なのか、自己満足で終わってはだめなのか、そもそも芸術ってのは自己満足なのではないか。
そういうことを考えながら見たりした。
自己満足への理解を求め出したらダサイ、かな。私の答えとしては。
技術で消えるもの アンセル・アダムス
六本木に行ったら富士フイルムスクエアは外せない。
FUJIFILM SQUARE 開館10周年記念写真展 二十世紀の巨匠 美と崇高の風景写真家 アンセル・アダムス | 写真展・ フジフイルム スクエア(FUJIFILM SQUARE)
って、もう終わってるけど。
この日はたまたま入館したら学芸員さんの解説ツアーが始まっていたもので、詳しい解決を聞けて楽しかった。しかし、お陰でサントリー美術館にも行きたかったのだが時間がなかった。
写真を撮るだけで無く後輩の指導にも力を入れた人だそうで、今でもその作品は流通しているのだという。
特徴といえばストレートフォトグラフィ。
現代でもそうだけど、素人が一眼レフとか持っちゃうと、とにかく絞りを小さくして対象物以外はボケボケの写真を撮りがちだ。そうすると簡単に「一眼っぽい」写真が撮れるし、「本格」っぽい気分が味わえる。けれど実際人間には世界はそんな風には見えない。端から端までしっかりピントがあってクリアに見えるものだ(少なくとも視力を矯正してみようとしている範囲においては)
それを写真上でも表現し、見えているままにとった上での芸術表現を考えようという運動だ。
対してピントがきつい写真は遠近法を写真内でも再現して感情を表現しようとするピクトリアリズムというもので、好みや使い分けの問題であってどちらが優れているというものではない。
写真の撮影方法についてもゾーンシステムというのを開発したりとあるが、まぁここで引用しても仕方ないから各自でググってほしい。
写真センスがとても現代的なのだが、実際人間に使用しているカメラは現代のものとは大きく異なる。
一部ポラロイドカメラを使った写真というのもあったのだが、正直説明受けたけど現代のポラロイドと仕組みが違いすぎてちゃんと理解したか自信はない。
ただ、このカメラを見ての感想は「撮影大変だろうなぁ」という率直なものだ。
オートモードなんて存在しない、露出だって全部自分で調べて計算してやらなければならない。
シャッターチャンスを見つけたらまずすることは、こうして三脚(現代の三脚とは規模が違う!)を立てること、そして各種計算の上の撮影。もちろん撮影結果は帰宅するまでわからない。
これでは一枚一枚への比重が現代と同じなわけがない。
私もカメラが好きで撮りまくっているのだが、基本オートだしこんな真剣に撮ったことはない。
彼が組み立てた写真技法というものは現在どこまで通用するのだろうか。1枚を完璧に写し取ることと、たくさん撮影した中からベストを探すこと、その結果は大きく異なるのだろうか。
撮り逃しは後者の方が少ないものなぁ。
アンセル・アダムスが現代のカメラを、というかスマホを、インスタを見たらどう思うだろうか。喜ぶのではないだろうか。
そしてこの簡単なデジカメを手にしたらどんな写真を撮るだろうか。彼の残した写真は彼の完成形なのだろうか。それともまだ技術に足を引っ張られた発展の余地があるのだろうか。
そんなことを考えたりする。
アンセル・アダムスの名前は知らなかったけど、これはなんかで見たことがある。
雷の中のような、印象的な写真
以下、パンフのちっちゃい写真から。
「アスペンス」
Aspens, Northern New Mexico by Ansel Adams
Aspens (Vertical) by Ansel Adams
「横のアスペンス」「縦のアスペンス」と呼ばれる写真。
同じ位置の同じ木々を、構図と設定を変えて写したもの。人と見ると、どちらが好みかが分かれて面白い。
私は横が好きです。キツすぎないし、深みがある。
「静物・サンフランシスコ」
元々後輩指導のために撮影したもの。様々なものの質感が見事に表現されている。
画像が小さいけれど、特にゆで卵と生卵の質感の違いが面白い。
彼の写真はヨセミテで現代も手に入るそうだ。
そこまで行かなくても公式サイトでじっくり見れるからみてみるといい。
安藤 and インド? 安藤忠雄展ー挑戦ー
先日、iPhoneに不具合が出た日を覚えているだろうか。
10秒ほどの間隔でiPhoneがひたすら再起動を繰り返し、どんどん熱くなっていく不具合だ。10秒なので、原因を探ろうにも何もできない。パスワードを入れて何かのアプリを起動した瞬間落ちるくらいの勢いだった。
という話を何でしだしたかって言うと、その日は私が国立新美術館に安藤忠雄展を見に行った日だったんですよ……
ずっと楽しみにしていたんですよ、光の教会実物大模型…写真撮影可能だったのに……
カメラも起動しませんでした。あぁ。
展示の構造としては、残念ながら非常に見づらい。
まずは右側に遅々として進まない大行列がある。何かと思うと、腰くらいの高さに据え付けられた長い台の上に乗った建築模型や資料、施主へのアンケートに現物の動画が流れるディスプレイなどをゆっくり見ているのだ。
これらがすべて目線から下の位置にある。ディスプレイも、タブレットくらいの大きさだ。
すぐ近くまで行かなければなーんにも見えない。
せめてアンケートや動画は目線より高くして、遠くからでも見れるようにしてくれないだろうか。
ざっとしたスケッチも勢いがあり、サインペン2本くらいで塗られた色もなぜかわからないけど本当に美しくて鑑賞の価値がある。なのに全然見えない。
順番通りに見なくて大丈夫です、といくら係員が言ったところで、結局展示が切れ目なく続いているのだから鑑賞列に切れ目ができるわけがないのだ。
分散して見れる工夫は必要だと思う。
「挑戦」
建築家の言う「挑戦」と聞いて、何を思うだろうか。いったい何に対する挑戦だろうか。
その答えは会場のキャプションに書いてある。
彼ら(施主)もまた住みこなすことに挑戦せねばならない
そう、挑戦するのは安藤ではない。彼の建てた家に住む人たちなのだ。
なんてこった。
例えば初期の代表作である「住吉の長屋」
ちょっとこの見どころサイトで建築模型の写真を探してほしい。
そして、どうなっているのか想像して欲しい。
よく見ると、模型では家の手前の壁がごっそり省略されている。
もちろん全部壁を再現したら、中が全く見えないただの箱になってしまうからだろう。見やすくするための工夫なんだなぁと理解できる。屋根もないけれど同様の処理だろう。
と想像したところで、実際の家を撮影した動画を見てみよう。
屋根、本当に無いでやんのwwww
おかしいでしょう。どう考えてもおかしいでしょう。
1階から2階に行くのに傘が必要なんてどうかしているでしょう。
それが許されるんだからこの人は面白い。
実際、この手のエピソードは数え切れないほどあるようだ。
「施主が寒いと言うからもう一枚着ろと言った。それでも寒いというから『諦めてください』と言った」「(この家は)住み手の体力にかかっている」「家の中でスキーウェアを着ている(施主)」「彼らもまた住みこなすことに挑戦せねばならない」
絶対自分では住みたくないけれど、聞いている分には面白い。
そして、意外と増築の注文もあるようなので、住んでいる方も変わりものなんだと思う。
こういう話が聞けるので、本人出演の音声ガイドは絶対借りたほうがいいです。面白すぎるから。
例えば光の教会。
www.ibaraki-kasugaoka-church.jp
実に美しいですが、本当に寒い。ガチ目に寒い。模型だからか、十字架の部分にガラスが入っていないし、右の方の壁にも一部完全な隙間がある。
これは台風の日はどうするのだろうか?
そう思いながら音声ガイドを聞く。
バブル期なのに3千万しかない。
予算がないから屋根を無くそうとした。ない方がいいと思ったけど、建築会社が寄付して屋根がつくことになった。十字架部分は穴にするつもりだったが、信者さんが寒いと言い張るのでガラスをはめることになった。でもいつかガラスを取ってやろうと思っている。今回実物大模型を作ることになって遂にガラスなしで作ってやった。やはり諦めないことが大切だ。
あぁ、実物にはガラスがあるんだ、よかった。雨に濡れながらミサをする信者はいないんだ、と安心できる。
建築会社が寄付って、多分信仰心とかじゃ無くて単純に「ウチに注文すると屋根のない家が建つなんて噂が立っちゃ困る」って理由だとおもう。
頭大仏というのも、だいぶ頭がおかしい(褒めてる)
大仏をもっと信仰されるようにしてほしいと言われた。
見た瞬間、これはダメだと思った。埋めることにした
駄目だ、からの埋める、への思考の飛躍が当たり前のことのように語られるのが面白い。
なんというか、ビジネス狂気で無いものを感じる。ナチュラル・ボーン・どうかしている。
こんな話を聞いても、なるほど安藤!としか思わない。
天才と平凡 by tonchiki | エッセイ投稿サービスShortNote(ショートノート)
実は私夏まで仙川に住んでいたので、安藤忠雄ストリートのことは一応知っています。
でもこれ、まったく安藤の名前出してないんだよね。もったいないね。
検索するとテナントが入らなくてガラガラ、というページばかりですが、少なくとも2017年夏にはテナントいっぱい入っていたよ。三角の建物は歯医者さんだよ。
メイン商店街からは離れてるしお高い店ばかりだから利用したことはないけど。
ここは、安藤感が少し薄いです。
安藤忠雄といえばコンクリ打ち放し、そして大きな窓だと思います。
作品(住宅というよりは作品だ)のいくつかは壁一面が大きなガラス窓で、しかも前も後ろもガラスなものだから公道から家の中が完全に見えるどころか、家を透かして向こう側が見えるものも少なくないです。
これの最上階みたいなね。
それを危惧したのでしょうか、イタリアからの注文で「プライバシーに配慮した家」というのがありました。
そして出来たのが、大部分を地下に埋めた「見えない家」
地下といいつつ広く傾斜を取られているので決して暗くはありません。
けど、話が通じているようで通じていない感じがしてすごい。やはり狂気を感じる。
今回の展示は京都人といったのですが、この人実は建築系の学校を卒業しているのです。
そして
「なんかすごくインドっぽい。球体を作ってつるすのも、建物を埋めるのもインドっぽい。
インドには宗教弾圧を避けるために地下に埋められた寺院とかあったはず」
とか言い出して興味深かったです。
実際のインド寺がどんなだかわからないのですが、若き日に世界を旅したという安藤忠雄、そういったものからの影響もあるのかもしれません。
♡はあと♡ ロートレックと版画達
展示会タイトル正直どうかしてる。
そして久々に図録を買ったら、めちゃ濃い内容だった。いや、しばらく部屋のスペースと予算的な問題で図録買ってなかったけど、こんなだっけ。時代背景とかめちゃ詳しいし、展示されてなかった参考作品が85点も載っている。
なので最初は図録読み終わってからブログ書こうと思ってたんだけど無理やー!ってなって読書を中断して書いています。
ロートレック、と銘打たれてるしやはりロートレック作品は多いですが、同時代の作品がとても多いです。全部で147点もある。そして、一部撮影可能。
かなり豪華な展示になっています。
時代は美術のカンブリア紀と言われる(今決めた)19世紀末フランス。
1881年に法律が変わり、政府による新聞の検閲制度が終了します。印刷の自由化によりビラ貼りに認可が不要となることで、街中に一気に印刷物が溢れ出すのです。
産業革命により増えた都市生活者への広告の増加、すでに浸透していたジャポニスムによる浮世絵の影響、絵画を買うほどのお金は無くともポスターになら手の届く中産階級の増加、そしてアルフォンス・ミュシャ、オディロン・ルドン、フェリックス・ヴァロットン、そしてもちろんアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックといった華々しい作家の登場。
そういったことが一気に起こり、パリの街は紙と色で溢れかえることになるのです。
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ルイ・カリエ=ベルーズ「鍋修理」
これは版画では無く油絵。当時の風俗画です。
ポスターを熱心に見つめる二人は上流階級の格好をして、左で店舗すら持たず屋台を担いで商売をする貧しい女性とは比べ物になりません。
彼らが関心を持っているのはポスターが広告する大衆向けの商品などでは無く、ポスターそのもの。
当時、上流階級の文化人にはポスターはすでに芸術品とみなされており、そのコレクターも存在したのです。
図録にも、当時のポスター盗みについて詳しく語った文献が紹介されています。
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こちらは撮影可能エリアの作品。とっても大きい!
画面全体を大きく使って、一人の女性をシンプルな線で描きだしています。その服に這う蛇の色がとてもきれい。
でもさぁ。この作品に限らず全部なんだけどさ、ロートレックの描く女性って美人じゃないよね…?
私がこういうデフォルメされたら割とショックだと思うんだけど、いいのかな…
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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「メイ・ベルフォール嬢」
ウサちゃん帽子をかぶった女性より、猫がかわいい。猫かわいいよかわいいよねこ。
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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「エルドラド、アリスティド・ブリュアン」
男性はかっこいいんだよなぁ……
この時代はまだ、恰幅がいいのがいい男の条件な気がしますね。
胸板を厚く見せるため、現代と服のカッティングも違って、自然と剃り気味になるような作りだったそうです。
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アンリ・リヴィエール「ジョルジュ・フラジュロール『月の光』上演のためのポスター」
かわいい!かわいい!!
黒猫といえばスタンランの「黒猫(ルドルフ・サリの黒猫の巡業)」があまりにも有名だし、今回も着ていたけれど。あれはもうみんな知っていると思うからこっちを紹介します。
かわいい…たまらない。
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ピエール・ボナール「『フランス=シャンパン』のためのポスター」
ふわっとしたタッチでコケティッシュな女性が描かれています。
お酒の広告=セクシーな女性というのは広告黎明期のこのころからの伝統なのかなぁとか考えてしまった。
シャンパンっぽさすごく出ていていいと思う。
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フェリックス・ヴァロットン「かわいい天使達」
にこにこした子供たちが警官に群がっている一見ほほえましい版画だけれど、よく見ると子供の顔は不気味だし警官は浮浪者を連行しています。
状況がつかめるとぞっとする。エドワード・ゴーリーみたいだね。
ヴァロットンの版画はシンプルで、黒が強くて、無限の物語を含んでいて好きです。
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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「ロイ・フラー嬢」2枚
これが一番素敵だなぁと思った。
これらの作品は版画、印刷物だから、同じものが大量にあるわけですよ。
以前横浜美術館で複製技術都芸術についての展示があったけれど、このようなどこまでが芸術なのかという論争は印刷物が広がり始めた時期からあったそうだ。
富士ゼロックス版画コレクション×横浜美術館 複製技術と美術家たち ― ピカソからウォーホルまで | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館
美術館に行こうよ #芸術 by みなぎ | エッセイ投稿サービスShortNote(ショートノート)
製作者である芸術家たちもその問題に当然取り組まなければならなかったわけで。
こうやって同じ版でも色を変えたり少し手を加えたりして、まったく同じものが2つない独自性を加えたりしていたとのことです。コレクター魂を揺さぶるね。
イザイア・ウェスト・テイバー「ヴェールをまとって踊るロイ・フラー」
ちなみにダンスはこんな感じだったそうで。
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オディロン・ルドン「光の横顔」
ルドンも1枚あるよ!!
来年頭にはルドンの植物画、ということはカラーが中心の展示が同じく三菱1号館美術館で予定されています。
すごい楽しみ。年パス買っちゃおうか今から考えている。
番外編 サロン・ド・テ・ミュゼ・イマダミナコ
先日、友人たちと新宿高島屋のサロン・ド・テ・ミュゼ・イマダミナコに行ってきた。
イマダミナコってなんやねん?って聞かれたら、私にもよくわからない。
食卓芸術サロンについてはもっとよくわからない。
要するに、マナー教室的な?なんかお姫様に関する本をいっぱい出している人だ。
まぁそれはともかくとして、なんか店の名前は派手だし入口は派手だし入っていく客もなんかロリータさんだったりで、前を通るたびにずっと気になっていたのですよ。
でも店内はめっちゃシンプルで正直がっかりした。
あまり派手派手しいのはお姫様にふさわしくないのかもしれないなぁ。
これだったらマリアージュ・フレールとか、閉店しちゃったけどハロッズ・プランテーションルームの方が派手だ。
ちなみに今までの行った中で一番派手な喫茶店は、池袋の伯爵です。
……お洒落だともおいしいとも言ってないからね。
ともあれ。
お店にあったお姫様らしいものは、入口のカウンター奥に飾られているアンティークっぽいカップが数個、水差しが1個、奥の棚に飾られたシュガーデコレーションの人形がいくつか。
あと、入口にステンドグラスがありました。
説明によると19世紀末の本物のようですね(最高の作品、というのは誇張だと思うけど)
ステンドグラスというか、ここまで筆をくわえているとガラス絵っぽいですね。なんでここでガラス分割しているんだろう?と思うところもある。
なかなか状態はいいなぁと思います。
と、店構えについては期待値が高すぎた分ちょっとしょんぼりになってしまったけど、メニューはすごくおいしかったから普通にお勧め。デパートの中にしてはそれほど高くないし。