技術で消えるもの アンセル・アダムス
六本木に行ったら富士フイルムスクエアは外せない。
FUJIFILM SQUARE 開館10周年記念写真展 二十世紀の巨匠 美と崇高の風景写真家 アンセル・アダムス | 写真展・ フジフイルム スクエア(FUJIFILM SQUARE)
って、もう終わってるけど。
この日はたまたま入館したら学芸員さんの解説ツアーが始まっていたもので、詳しい解決を聞けて楽しかった。しかし、お陰でサントリー美術館にも行きたかったのだが時間がなかった。
写真を撮るだけで無く後輩の指導にも力を入れた人だそうで、今でもその作品は流通しているのだという。
特徴といえばストレートフォトグラフィ。
現代でもそうだけど、素人が一眼レフとか持っちゃうと、とにかく絞りを小さくして対象物以外はボケボケの写真を撮りがちだ。そうすると簡単に「一眼っぽい」写真が撮れるし、「本格」っぽい気分が味わえる。けれど実際人間には世界はそんな風には見えない。端から端までしっかりピントがあってクリアに見えるものだ(少なくとも視力を矯正してみようとしている範囲においては)
それを写真上でも表現し、見えているままにとった上での芸術表現を考えようという運動だ。
対してピントがきつい写真は遠近法を写真内でも再現して感情を表現しようとするピクトリアリズムというもので、好みや使い分けの問題であってどちらが優れているというものではない。
写真の撮影方法についてもゾーンシステムというのを開発したりとあるが、まぁここで引用しても仕方ないから各自でググってほしい。
写真センスがとても現代的なのだが、実際人間に使用しているカメラは現代のものとは大きく異なる。
一部ポラロイドカメラを使った写真というのもあったのだが、正直説明受けたけど現代のポラロイドと仕組みが違いすぎてちゃんと理解したか自信はない。
ただ、このカメラを見ての感想は「撮影大変だろうなぁ」という率直なものだ。
オートモードなんて存在しない、露出だって全部自分で調べて計算してやらなければならない。
シャッターチャンスを見つけたらまずすることは、こうして三脚(現代の三脚とは規模が違う!)を立てること、そして各種計算の上の撮影。もちろん撮影結果は帰宅するまでわからない。
これでは一枚一枚への比重が現代と同じなわけがない。
私もカメラが好きで撮りまくっているのだが、基本オートだしこんな真剣に撮ったことはない。
彼が組み立てた写真技法というものは現在どこまで通用するのだろうか。1枚を完璧に写し取ることと、たくさん撮影した中からベストを探すこと、その結果は大きく異なるのだろうか。
撮り逃しは後者の方が少ないものなぁ。
アンセル・アダムスが現代のカメラを、というかスマホを、インスタを見たらどう思うだろうか。喜ぶのではないだろうか。
そしてこの簡単なデジカメを手にしたらどんな写真を撮るだろうか。彼の残した写真は彼の完成形なのだろうか。それともまだ技術に足を引っ張られた発展の余地があるのだろうか。
そんなことを考えたりする。
アンセル・アダムスの名前は知らなかったけど、これはなんかで見たことがある。
雷の中のような、印象的な写真
以下、パンフのちっちゃい写真から。
「アスペンス」
Aspens, Northern New Mexico by Ansel Adams
Aspens (Vertical) by Ansel Adams
「横のアスペンス」「縦のアスペンス」と呼ばれる写真。
同じ位置の同じ木々を、構図と設定を変えて写したもの。人と見ると、どちらが好みかが分かれて面白い。
私は横が好きです。キツすぎないし、深みがある。
「静物・サンフランシスコ」
元々後輩指導のために撮影したもの。様々なものの質感が見事に表現されている。
画像が小さいけれど、特にゆで卵と生卵の質感の違いが面白い。
彼の写真はヨセミテで現代も手に入るそうだ。
そこまで行かなくても公式サイトでじっくり見れるからみてみるといい。