大理石は硬い シャガール
東京ステーションギャラリーにシャガールを見に行ってきた。
会期中にブログ書けなかったなぁ。今名古屋でやってるらしいからそっちで見て。
シャガール展 名古屋市美術館:中日新聞:(CHUNICHI Web)
東京ステーションギャラリーはその名の通り東京駅にある。駅ビルというか、駅舎の中にある。アクセスは抜群なのだけれど、意外とマイナーな気がする。
丸の内の駅外観を写真撮っている人は山ほどいるのだが、ギャラリーに来る人はあまりいない。
さて、シャガールといえばどういうものを想像するだろうか?
私は「なんかバラ色パステルカラーの画面で歪んだ体の恋人たちが空を飛んでいる」というものだった。
しかし、今検索してみると何となく青い画像の方が大量にヒットする。こういうのは流行に依るね。
有名どころだとこういうやつだと思う。
だけど今回はシャガールの「立体」展示だ。かなりレアだと思う。
シャガールが立体物を製作していたなんて私は知らなかった。
その原因はたぶんだけど、今回の展示物のほとんどが「個人蔵」であることが大きいと思う。
誰かが人目に触れないところにしまいこんでいるのだ。
だから見れるときに見に行った方が絶対にいいよ(というなら東京会期中にブログを書けという話だが。)
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「<青いロバ>のための下絵」 1954年
軽いスケッチ。
陶器の壺を作るための製作メモですね。
ちょっと、スクロールする前にこれがどういうものになるのか想像して欲しいです。
想像した?
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「青いロバ(裏表)」1954年
はい、どーん!
先ほどの絵を基に作った壺です。
うん、絵の通り。絵の通りだよ。でも、その発想はなかった。
そういうものが多すぎて「こうきたか~!いや、確かに絵のまんまなんだけど!」ってなって面白い。
ポストカードなかったんだけど女の顔をデザインした壺が一番、「えぇえ?そういう造形??」ってなって面白かった。
説明したい。説明できない。ああ、くやしい。
この人とおんなじことを思った。普通壺に絵を付けるって、外側につけるじゃん?なんで内側につけるの?引っ込んでるよ???ってなるんだ。
ああ、みてほしいのに。
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「ハダサ病院付属ユダヤ教会堂(エルサレム)のステンドグラス<レビの一族>のためのヴァリアント」1960-62年
彫像、塑像の他に絵画も多かったです。
これはステンドグラスの下絵。ユダヤ系だったシャガールが、偶像化を嫌うユダヤ教徒のためにあえて人物を使わずに民族を表したものだそうです。
偶像化はだめだけどケモ化はいいのかな。考えちゃうな。
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「紫色の裸婦」1967年
後期の絵は戦争や妻の死の影響でしょうか、結構どぎつい印象。
このヤギっぽく見えるのはなんか私の感覚だと悪魔っぽいと感じてしまうけれど、むしろ神的なものを表現しているそうです。
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さて、ここまで来てタイトルの大理石の話をしていないのにお気づきでしょうか。
いやね、公式サイトとかポスターとか見るとわかるけどね。
他の人の大理石像を見ているととても見事に人体や皮膚の柔らかさが表現されて、なめらかで、とても硬質なものとは思えないほどなんですけれどね。
シャガールの彫刻を見ると、「石って堅いんだなぁ。彫るの大変なんだなぁ」ってしみじみ思ったのです。
正直、あまり上手では……げふんげふん。
シャガールの立体があまり有名でないのは、これも理由なのかもしれません。
簡単更新 ART@JUNGLE Grand Final
同じく文化村でついでに見たけど特に印象が無いよ。ただ行ったってだけの記録
簡単更新 笹尾光彦展
自分を見つけること オットー・ネーベル
文化村でオットー・ネーベル展を見てきた
すごくよかった。
オットー・ネーベルという人のことを、私は全く知らない。
Wikipediaを調べても出てこないし、ぐぐってもこの文化村の展示のことしか出てこない。
それもそのはず、今回が日本初の回顧展なのだという。
こういう人を探して紹介する文化村のセンスはすごいなと思う。
なので、彼の生涯についてはこの展示会のサイトくらいしかまとまっているところが無い。
オットー・ネーベル | オットー・ネーベル展 | Bunkamura
1892年に、オットー・ネーベルはドイツのベルリンで生まれている。
技師、俳優、軍人として働いた彼は独学で絵画を描き始める。
その後ナチスからの弾圧を避けてスイスに亡命するも、制作・就業を禁止されて苦しい生活を送ることになります。
最終的にはスイスの市民権を得、ナチスが消えて第二次世界大戦が終わった1965年にはドイツ連邦共和国大功労十字章も受賞。
一応は名誉が回復されたことにはなりますが、終わりよければすべてよしって、そういう問題じゃないよね…
亡命を受け入れておいて就業禁止ってどういうつもりなんだろうね…とっとと帰れってことなのかな…
この時期、多くの芸術家がドイツから亡命しています。
それは戦火を逃れるためやユダヤ人への弾圧の他、ナチスの退廃芸術への弾圧が大きな要因です。
ナチスが指示したのはいわゆるわかりやすい古典絵画風で、ナチスを讃えるようなものだったようです。実際にどんな絵画だったのかはあまりよくわからないんですよね~退廃芸術の方に後世の注目集まっちゃってるから。
ネーベル自体は迫害されてはいないものの、退廃芸術家として烙印を押された親交の深いクレーに同行する形でドイツを脱出しています。
まぁ、退廃認定されるのも時間の問題だろうし、先に逃げたってことでしょうね。
この時代は色々と受難の時期なのだなぁ。
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メインビジュアルがこれなのだが会場に入ると正直戸惑う。入ってすぐの初期に描かれた絵を見ると、このチラシとは全然系統が違うからだ。
率直に言うと、シャガールまんまだ。
最初の数枚の絵を見た段階では「なんだよこれ~全然チラシと違うじゃん詐欺じゃん。これなら来なきゃよかったかも」って思った。
だけど様々な画家に影響される時期を抜け、抽象絵画にオリジナリティを見出した後の作品はとても素晴らしく、ここにきてよかったなぁと最終的に思ったのだ。
シャガールが見たければシャガールを見に行くわけで。
ネーベルらしいネーベルを見てとても気に入ったのです。
けれどこれほどたくさんの芸術家がすでに排出された後で、他の誰でもない「自分らしさ」を表現するのはどれほど難しいのだろうなぁ。
文学も音楽も、もうやりつくして新規のものは出ないと言われてから久しいけれど、さらに新しいものを作り出す人はすごいなと思う。
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「黄色がひらひら」1939年
落ち葉の色の盛り上がりが面白い作品。
写真を撮ってアップする時、どっちが上だっけ?って迷ったw
細かな点で書かれていて、まるでモザイクタイルみたいです。
何となく見ていて楽しくなる。
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「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」より「ボンペイ」1931年
出世作といってもいい、カラーアトラス。
イタリア各都市の街の印象を、色だけで表現しています。面白いなぁ。
実際、町特有の色彩というのはあるし、こういう表現の仕方すごくいい。写生よりもその時の気持ちや感じたことを明確に表しているかもしれない。
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「高い壁龕」1930年
樹脂絵の具だという。アクリルだろうか?
壁や柱の隙間から、聖堂の十字架が見えている。ステンドグラスはきっちりと分割されてタイルを張り付けでもしたかのような質感だ。
この聖堂を描いた作品はいくつかあって、赤いのが一番いいなぁと思ったのだけれどポストカードが無かった。どれが好きか見てみるといい。
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「ムサルターヤの町 Ⅳ 景観B」1937年
この人の絵は赤系がいい。
とても細かい筆致で描かれているため、まるで不織布のような質感を持っている。触ってみたい。
苦しい時代に製作された、彼の想像の都市の景観だ。中東風のとてもしっかりとしたつくりの街だが、それがなんだかさみしそうだと思ってしまうのはその背景を知っているからだろうか。
夕焼け色も相まって物悲しい。
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「近東シリーズよりミコノス」1962年
中東シリーズって言うけれどなんかギリシャ神話っぽいなぁと思ったら、ミコノス島はギリシャ海にあるんですね。
白の絶景「ミコノス島」の観光スポット9選♡ | TABIPPO.NET [タビッポ]
なんかイメージあってる。海と、町と、船とトライデント。月明かりの下で外にいる人は少ない。すごくわくわくする感じがある。
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パウル・クレー「恥辱」1933年
クレーが好きだから1個出しておこう。
この作品については、かなりしっかりした解説があった。
矢印が、世間から向けられる恥辱であること。
中央に立つ人物が手を垂直にあげていること。
それは、恥辱に対して立ち向かう姿勢であること。
水平線の意味も、きっちりと書かれていた。
それって、どうなんだろう?
それは、クレーが明示したのだろうか?どこかに本人が書いたのだろうか。出典はなかったと思う。
たとえ本人の言葉だとしても、それが唯一の正解であるかのように書くのはどうなのだろうか。ただ一つだけの見方が正しいかのような書き方はどうなのだろうか。
想像の余地がなくなってしまうのは、絵画との向き合い方として正しいのだろうか。
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オットー・ネーベルだけでなく、それを取り巻く人々、影響を与えた人々の作品も飾られている。特に盟友ともいうべきクレーの絵は結構多い。
すごくお得な気分になる展覧会だった。とっても気にいった。
ビブリオフィリアじゃないんです 組版造形 白井敬尚
銀座ギャルリーためながは、GGGに近い。
というわけで行ってきた。
今回はグラフィックデザインというより、装丁、むしろタイポグラフィや文字組みの展示だった。
なので正直守備範囲外過ぎてよくわからなかった。
本は読む。すごく読む。多分、並外れて読む。読書はすごく好きだ。
でも私は本の虫ではあるが、ビブリオフィリアではない。ただの紙魚だ。
表紙に魅かれて読むこともなくもない。なんてクソ読みづらいレイアウトなんだ!と憤ったこともある。
けれど私には本は本だし、タイトルと背表紙で読む本を決めることが一番多いし、正直読めりゃなんでもいい。
本のデザインで思い出すのは、不思議の国のアリスの「長い尾はなし」くらいだ。
これから先電子書籍が普及するに従って、こういうレイアウトというのはどうなっていくのだろうか。
こうやって本を広げられると美しいねぇとは思うけれど、「そんなことより本を読ませてください!なんでページめくっちゃいけないんですか!!」ってなるよ私は。
とはいえこの展示は大盛況で、GGGがこんなに混んでるの初めて見たよ!ってくらいだった。
この展示は昔見に行きました。面白かった。図録買えなかったんだよな~読みたいな~
クリスマスデートにぴったり? ルノワール展
連休中に、銀座にも行ってきた。
銀座7丁目、ギャルリーためなが。新橋と有楽町の間にある画廊だ。
Galerie Taménaga | Tokyo - Paris - Osaka
クリスマスイブまでやっているというから、銀座デートでもすればいい。
画廊とはいえ1階路面店なので比較的入りやすい、今回はルノワール展をやっているので、販売はしていないのでふらっと入ってふらっと出ることができる。
美術館ではなく画廊なので、特にパンフレットや図録はない。年表だけくれる。
ポストカードなんかもないので今回は写真が無い。
気に入った絵がネットに転がってないかなぁとググってもねぇ…ルノワール、流行作家だったからめちゃくちゃ絵描いてるしね……地味なタイトルだと全然引っかからない。
公式サイトにあるやつだと、1915年製作の「ザクロとイチジク」がいいです。綺麗にまとまった量産絵画とちがう、生々しさがある。
1909年の「カーニュ風景」というのも木立の陰影が生み出すリズムがいいなぁと思ったのですが、同一タイトルが大量にあるらしくてWebで見つけられず。
1875年の「少女」というのは描き直しの跡が多く正直あまり生彩を欠く絵なのですが、ハウス名作劇場の小公女セーラみたいで参考にしたのかなって思った。けどためしにググったら、お前何枚少女ってタイトルの絵を書いてるんじゃ!!って結果になった。
1879年の「本を持つ少年」と「幼いアンドレ・ベラール肖像画」は同じ年だし、同じ子を描いているのかなぁと思った。
1888年の「ブロンドの少女」はちょっと毛色が変わっていてよかった。
これはね、これだけはWebで見つけたよ!
ピエール=オーギュスト・ルノワール|銀座ジャンセンギャラリー
ピエロじみた表現の、少し中心のずれた少女が何となく不安を誘う絵だけれど、だからこそ引きつけられるものがすごい。
今日は全然伝わらないブログになってしまったので、行けばいいと思う。行けば分かると思う。
ちくしょぅ。