銀座資生堂パーラーは今改装工事のため休館中なのだけれど、地価の資生堂ギャラリーは営業中だよ。
現存する日本最古のギャラリーなんだってさ。
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ジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダ「Moulting」
1923年から1959年までの資生堂の広告や雑誌から抜粋された80枚のイメージによるスライドショー
全部見る時間はなかったのだけれどどのスライドもモダンでかっこよかった。資生堂だけじゃなくて、国立西洋美術館の写真もあった。
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クララ・リーデン「ライトボックス」
バリケードや段ボール、水の重し、椅子の足、標識など東京の路上で収集した素材を使用して作成したそうです。
手前のやつとか、よく駐車場とかにおいてあるやつだよね。バリケードって何だろう?っておもったら、まさにこの銀座で使われてる、歩行者天国につき車両進入禁止のやつだった。ギャラリーを出て、実物を見て気づきました。意外と思い出せないものだね。
段ボールも結構油じみとかあって汚くて、その辺から拾ってきたものなのかなって思った。それでも、特にぶら下がってるやつとか、なんかそういうオサレ照明としてアリな感じがするのが面白い。
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ピエール・ルギヨン「メリダ絵画(メートル毎の切り売り)」
メキシコの都市メリダで入った小さなバーの壁を元に、福岡県で絣織にしたもの。売っているそうです。
売り方が面白すぎることを京都人に伝えたら「買ったら?」って聞かれた。
「これはアートの搾りかすだから、いらない」
って答えたら「言い方!」って言われちゃったけど違うの説明させてほしいの。
これはさ、「買える」ということ、むしろ「売っている」ということ自体がアートなんですよ。この布本体というよりも、これがこんな複雑な手続きによって販売されているということがアートなわけ。むしろこの説明書きのほうが、作品の本質であるといってもいい。特殊な方法によって現代アートを販売する、というパフォーマンス自体がインスタレーションである作品だと私は思うんですよ。
だから、買ってしまった後の作品は「そういうインスタレーションがあったなぁ」と思い出すためのよすがでしかないのです。それは例えば私がこうやってギャラリーの写真を撮った写真であり、それを利用して覚書を書いているこのブログであったりするものと等価でしかない、と言ったら言い過ぎだけどまぁそういうことなんですよ。
ちなみに京都人の「買ったら?」は「買ってあげるよ」とか「家計から買ってもいいよ」ではなく、「君の小遣いで買ったらええやないか」でしかないので、別に優しさではないぞ!小遣いから7万も出せるか!!!
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カッサ・ロドリゲス「The Maid」
アメリカ人アーティスト、シェリー・レヴィーンの彫刻シリーズ「ニューボーン」の所蔵先を撮影した動画作品。
なんか不思議な音楽とともに流されていて、単純に美しい映像だった。
撮影先は美術館の展示室であったり、厳重に管理された保管庫の中であったり、個人宅のテーブルの上であったりする。
特に個人でこの作品を所有している人はやはり好きで持っているだけあって、設置している空間が本当に作品にあっていて素敵だった。
あと、お金持ちの家はクソ広いなぁって思った。
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いつもとは違う雰囲気の中、全体的に静謐で美しい感じだった。面白かった。