人の金で美術館に行きたい+読

美術館に行った話とか猫の話とかします。美術館に呼んでほしい。あと濫読の記録。




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本当に怖い絵が見たい 読書感想文・ロンドン塔の王子たち

中野京子さんの「怖い絵」を2冊読んで、正直げんなりした。

 

なんでこれを読もうかと思ったかと言うと、秋に東京で開催される「怖い絵展」を楽しみにしているからだ。

www.kowaie.com

ここの所美術展のトレンドが光にあふれた明るい絵になってきている。揺り返しでボスとかも出てきているけれど、やっぱり明るめの絵が多い。
そのせいで、私の好きなヴァニタスが全然見られないのだ。明るい絵も好きだし印象派も好きだ。けどやっぱり幻想絵画の方が好きだし、もっといっぱいいろんなヴァニタスが見たいんだよ!と言うわけで、怖い絵展にはいまから期待しているのだ。

 

ちょっと話はそれるけど、ヴァニタスが何かと言うと、「生の虚しさ」を描いた絵である。日本風に言えば諸行無常

ヴァニタス - Wikipedia

時の流れの無情さを様々な小道具で表現した静物画だ。

たとえば、感情を強く揺さぶるも跡形もなく消えてしまう楽器の音色。
一瞬の盛りを見せて色褪せる花の色。
書き上げた瞬間から過去のものとなり、宛先人が読む頃には既に消え失せた感情が綴られた手紙。
そしてもちろん、死を表す骸骨。

そう言うものが定番だ。明るさの中に毒のあるメメント・モリと異なり、ただ静かに物思いに耽るヴァニタスが私は好きだ。
「手紙には 愛溢れたり その愛は 消印の日のその時の愛」俵万智『サラダ記念日』
日本人の精神にも似たものがあると思う。

 

そんなヴァニタスは説明不要なんだけど、怖い絵がなんで怖いかわかんなかったら面白さ半減だから予習しておこうかな、などと珍しく考えてしまったのだ。
期待していたのは、ジョン・エヴァレット・ミレイの「ロンドン塔の王子たち」みたいなやつだった。

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 なんとなく暗い部屋に美少年が2人、としか見えないこの絵がなぜ怖いのか。それはこの絵が肖像画ではなく歴史画だと知り、その背景を知らなければ理解できない。

リチャード・オブ・シュルーズベリー (ヨーク公) - Wikipedia

 前に立つ少年はイングランドエドワード5世、後ろは弟のヨーク公リチャードだ。
エドワード5世は12歳にして戴冠するものの、言い掛かりに近い形で叔父に王位を奪われ、ロンドン塔に幽閉されてしまう。そして、その後生死不明となり記録から消えてしまうのだ。彼らが殺されたのか、一生をその塔の中で終えたのか、名を変えて外の世界に逃げ出したのか。それもわかっていない。
寄る辺もなく立つこの2人の絵こそ、「意味がわかると怖い絵」だし、こう言う解説本を求めていたんだけど……

 

この本は正直妄想本だ。絵画の専門家が書いていないのも原因だが、解説はググれば出てくるような浅いものだし、「怖い理由」自体が筆者の妄想なのでどうしようもない。

例えばピカソの「泣く女」

ピカソは女たらしだった(今更
・モデルは愛人で、よくなく女だった(なるほど?
藤十郎の恋の挿話(唐突
ピカソはサディストでモデルを泣かせて面白がった(妄想
ピカソのフルネームすごい長い!(今更だし怖さ関係ない

と、 怖い理由妄想じゃねーか!である。

 

他にもジェラールの「レカミエ夫人の肖像」が怖い理由は「この薄着が流行して風邪で死ぬ人が多かった」「当時は政情が不安定で人々は死を恐れていた」って、対象の絵画とは全く関係ない話になっている。
コレッジョの「ガニュメデスの誘拐」では「この絵を見て本当に少年を誘拐した男もいるかもしれない」から怖いとか完全に言いがかりだ。 

 

事実誤認もある。ルドンの「キュクロプス」では(どうでもいいけど好きな絵を妄想で貶められるの腹立つね)「六十歳近くなって彼の真価は認められる。それとともに作品に色彩があふれはじめる」と、まるで周囲に認められたから機嫌が良くなってカラー絵を描き始めたように書いているが、実際には結婚して子供ができたことで色彩に溢れた絵を描くようになり、知名度が出たのだ。順番が逆だ。

 

医学解剖を描いた絵で「遺体に対するヨーロッパ人の考えは、時として日本人にはひどく怖く感じられる。魂の抜けた身体はモノとなる」と書きつつ、当時の人がいざ自分の死体が解剖されるのを嫌がる理由について完全に間違った説を書いている。
死後解剖されることを「かつて…死刑囚に加えられた行為が身に降りかかってくる」から嫌がっているわけではない。
もしも死体が悼むべきものではなくただの物体だと皆が考えているのなら、なぜ自分の死体も「モノなんだから死んだらどうなってもいいや」と考えないのか?少し考えればこの理論は破綻していることがわかるはずだ。

そこはキリスト教精神が理由だ。キリスト教徒は死後一時的な眠りにつき、最後の審判の時に蘇って天国で永遠の命を受けると信じていたのだ。それなのに死体が損なわれていては復活に支障をきたす。だから彼らは基本的に土葬を望むのだ。
死刑囚が解剖の素体として利用されるのは、死後の復活を与えるにふさわしくないと考えられたのも一因だろう。
そんなことも理解しないでドイツ文学研究してるってのもなかなか理解に苦しむ。あまつさえ、こんなめちゃくちゃな絵画解説本まで書いてるなんて。

 

正直に言うけれど、この本を読んで怖い絵展に行くのがちょっと怖くなってきた。
ちゃんと怖い絵が展示されているだろうか。
まぁ解説は学芸員さんがちゃんと書いてくれると信じてるけど。