人の金で美術館に行きたい+読

美術館に行った話とか猫の話とかします。美術館に呼んでほしい。あと濫読の記録。




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とにかく豪華 プラド美術館展 4/21

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はい、ドーン!!!

ビセンテ・カルドゥーチョに帰属(スルバラン?)「巨大な男性頭部」

というわけでプラド美術館展に行ってきた。(導入を変えてみた)

artexhibition.jp

プラド美術館もわりとよく日本に来てる気がする。今回の目玉は、ベラスケスがいっぱいあるってことだそうです。他の展示物もだいたい同じ時代、17世紀前半の、それこそ王様に捧げられるレベルのしっかりした作品が揃っています。

70点程度と数は最近の美術展にしては少なめなのだけれど、レベルが高いのと何よりやたら大きい作品が多いのとで、物足りなさは全くないです。

ミニ図録があるのも良かった。普通の図録より解説量は断然少ないのだけれど、とにかくかさばらない!助かる。

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写真が小さいから見づらいかなってのは当然多少あるのだけれど。

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細かい絵には見開きでの表示があったりして素敵。

 

というわけで冒頭の作品(こういう構成にしたことを後悔してる)

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これ、ものすごく大きいです。縦横2mくらいある。そのサイズにすごい精密さで顔だけがどん!っとあるので迫力がやばい。

元々は王宮の女王の部屋前に、王宮道化達(小人、矮人)の肖像画とともに飾られていたのだという。ベラスケスのセビーリャの少年とか。だからこれも巨人かもしれないとか、女王の守護を意味しているのではないかとか。

この絵が心理的警備として見なされていたということは、他の道化達もそうなのだろうか。障害とかいう意識はなかっただろうなぁ。あえて汚いものを魔除けにするっていう世界中にあるアレの一種なのかな。

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ホセ・ガルシア・イタルゴ「無原罪の聖母を描く父なる神」

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この時代のスペインは世界一の大帝国と言って良いと思う。強いし豊かだし、文化的にも成熟が進んでいる。そんな中で王様が国を挙げて絵画を集めたり画家を召し抱えたりしたら。

芸術は崇高なものだって概念がうまれるんだね。

それまでは個人の自意識はともかく、画業というのは他の家具職人や金物細工と同様、職人仕事だと考えられていた。今の感覚でいうと、工業製品扱いね。

それを、芸術というのは他の制作作業よりも一段階上の、レベルの高いものだという考えが広まってきている。

現代の、芸術的絵画や工芸は大量生産品とは全く価値が異なるという概念が生まれた頃なのかもしれない。人間国宝の陶芸家が焼く皿と、ダイソーに売っている皿。機能的には同じだけれども、多くの人はその方は異なると認識しているだろう。そういう感覚だ。

 

この絵は神がマリアを描いている。つまり、神様はこの世界を作った芸術家であり、キリストはヴェロニカの布に自画像を残して聖顔布とした画家である≒芸術家は特別!という主張なのだ。

 

てのは置いといて、単純に綺麗よね。ムリーリョの無原罪の御宿りとか連想する。ちょっと圧が強くてごちゃごちゃしてるかなぁと思うけれど、実物は結構なサイズなのでそれほど違和感なく楽しめる。

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フランシスコ・デ・スルバラン「磔刑のキリストと画家」

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対してこちらは非常に簡素なスタイルの絵。描かれているのは自画像とも画家の守護聖人聖ルカとも言われているけど、自画像に一票。

死せるキリストの緊迫感、それを見つめる画家は信仰心だけではないだろう。キリストに会いたいというより、歴史的瞬間を描くためにこの目で見たいという欲求は地獄変のようだと思ってしまう。

 

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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」

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珍しい聖ヨセフの絵。宗教改革を経てプロテスタント達がごっそり抜けた後、カトリックも何もしなかったわけではない。教義的な部分はともかく、批判された腐敗部分はちゃんと反省してるし、内部改革も行なっている。

そんでちょっと微妙になった権威を取り戻すために、こうして宗教絵画も多く制作されたそうだ。老人ではなく壮年の、未来のキリストを思わせる聖ヨセフの絵はこの時代特有のものだそうです。

率直にいってハンサムだし、キリストはキャワワである。

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ディエゴ・ベラスケスマルス

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というわけで内部改革やなんやで結論として宗教的締め付けが厳しかった時代。カトリック国であるスペインでは異教であるギリシアローマ神話の絵画や裸体画(神話画はほとんど裸体画だ)はあまり良く思われていない。

とはいえ製作されていなかったわけではなく、個人コレクションとして扱われていたそうだ。

このマルス武装をとき、つまらなそうな顔をしている。国の力が強大で外交戦術もうまくいき、マルスが活躍する戦争が起こることのない平和さを表し、王の政治手腕を讃える絵である。

野生的狂乱の戦神であるギリシア神話のアレスがあまり好かれていなかったのに対し、ローマ神話マルスは理性を身につけたのかなかなかの人気である。王の似姿として描かれたり、マルスに扮した肖像画も多い中、全くスペイン王に似ていない(ハプスブルク家の特徴がない)のはやはり平和をもたらす王は別にいるってことなんだろうね。

 

マルスがこんな表情してるのなかなかないよね。面白い。

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フェリペ・ラミーレス 「食用アザミ、シャコ、ブドウ、アヤメのある静物

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静物画も多く描かれたということで、ブリューゲルの花なんかもあるんだけど。切り取り方の問題なんだろけど、食物が多い。ガラスや陶器といったものがあまりない。

解説によると「食物と人物を組み合わせた絵画であるボデゴン、日本語で言う厨房画」が流行っていたそうで。

ボデゴン - Wikipedia

食いしん坊?スペイン人食いしん坊なの??

 

この作品は展示室に入った瞬間こちらの目を引きつける力強さがある。大物ってほどでもない人だし、技量的なことを言えば他の作品の方が上かもなってのがいくつかある。

それでも目を離せなくなる絵はこれだし、全展示物の中で一番印象に残る絵はこれだ。

こう言うのが、好きな絵、というものなんだろう。

音楽への愛憎 資生堂ギャラリー ~ing 4/14

銀座の和光に用があって行った。パフェ券をもらった。

しばらくパフェには困らない身分になった。

銀座に行ったらとりあえず覗く、資生堂ギャラリー

www.shiseidogroup.jp

www.shutahasunuma.com

 蓮沼 執太 「~ ing」

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からイングと読むらしい。音楽系の展示らしい。公式サイトを見たら、この瓶の画像があった。透明感があってきれい~

 

入ってすぐ、展覧会によくある「ご挨拶」日本語と、英語と、それぞれに音の波形だろうか。波のシールが横に貼ってある。ランダム波形を貼る意味もないから、普通に音読したものを波にしたものなんだろうなぁ。こだわり。

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 ヤマハが協力したという今回の展示がこちら。

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上から見た図のほうがわかりやすいかな。

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銀色に覆われた部屋の中、金色の楽器部品が散らばっている。不思議な音が聞こえ、金属の上を歩く人の音がする。絞られた光源のなかで木漏れ日が振ってくる。
そう、この上歩けるんだけれどすべりやすいしガチ危険なので注意。 

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床と壁の境界があいまい。

 楽器部品を踏むって、音楽好きな人にはどうなんだろうなぁとおもいつつ。
私は全く楽器のできない人なので躊躇なく踏む。昔ヤマハのピアノ教室に通わされていたのに家にまともなピアノもオルガンもなくて(音が出ないオルガンはあった)通うのが苦痛だったことを思い出す。くそぅ。音楽なんて!音楽なんて!!好きだけど。

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 展示室を出たところにトンボがあるの、面白いw
人が歩いて散らばした部品、適当なところで整備するんだろうなぁ。

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 なぞの音のする箱や、スピーカー前のなぞの植物。

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 へんてこだけど面白いねぇ、と見終わったところで、サイトにあった瓶がないことに気づく。あれ、すごくきれいで見たいと思ったのにぃ。

残念です。くそう。

名工の明治 4/4

なんだか最近明治工芸がブームである。
ここ2年くらいやたら展示を見る気がする。今回は竹橋の東京国立近代美術館工芸館。
近代美術館は駅近だけど、工芸館はやたら歩くぞ。気をつけろ。つらい。 

www.momat.go.jp

 

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やっすい。所蔵品展にしても安すぎる。自宅からの交通費より安い。いいのかこんなに安くて。撮影可能なんてお得すぎる。

 

最近明治工芸といえば陶磁器や自在金物が目玉に据えられているのが多かったけれど、今回は金属細工による鷹がメインになっています。

鈴木 長吉「十二の鷹」f:id:minnagi:20180413152632j:image

銃にこのうち一番気にいったの、これ。

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自分の足を掻いている鷹。ぬめるような羽の造形がすごい。

 

こうやって、細工の解説もしています。
これは動作はしないみたい。様々な金属を使って羽の毛筋一本まで細かく作られています。

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手にとったら重いのかなぁ。

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二十代 堆朱 楊成 「彫漆六華式平卓」

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色の違う漆を何層にも塗り重ね、垂直に掘り下げて模様を出した作品。
断面をよく見ると、重ねた漆でシマシマになっています。
どれだけ時間がかかったのだろうか。見事に華やかです。

 

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勝城 蒼鳳 「波千鳥編盛藍 渓流」

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ぱっと見ただの竹かごというか、大きいけど和食レストランでお絞り乗せて出てくる奴なんだけど。
すごい綺麗なんだよね。
渓流、という名前の通り、中央の竹の流れがとてもダイナミックで。ああ、これは水の流れなんだなぁと左右の抜けの部分も相まって素直に思える感じ。
写真にすると立体感わかりにくいけれど、すごい。

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清水 卯一 「青瓷大鉢」f:id:minnagi:20180413162006j:image

幾重にも走る貫入が見事な作品。色もとてもいい。
ひび割れの層が光を反射して、宝石みたいに見える。
氷砂糖のような、触れたら砕け散るんじゃないかと思うような美しさがある。

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十二代今泉今右衛門「色鍋島緑地更紗文八角大皿」

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 かーわーいーいー

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こういう絵本あるよね。うん、ある。めっちゃかわいい。
でも何に使うんだろうな。料理とか乗せたらうるさいし、飾り皿なのかな。

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黒田 辰秋「赤漆流綾文飾箱」

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何これモダン!本当に明治にこんなの作ったの?て思ったら、1957年作だった。昭和32年、戦後じゃねーか。何が明治だ。

この時代ならまだ納得のデザインかな。レトロモダンな感じ。

昭和かよ!て思っただけで、作品自体はすごく好き。

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初代宮川香山の高浮彫の壺がひと組あった。
十二の鷹は万博向けのものだけど、実用作品が多いのかなって印象。
ここは建物自体もかっこいいし、機会があったらまた来たいなぁと思った。

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しかし、駅から遠い。

常設展大好き 横浜美術館 4/8

ヌード展を見た後さらりと見た常設展。

横浜美術館コレクション展 2018年3月24日(土)-6月24日(日)「コレクションをつくる。未来へつなぐ―近年の収蔵品より」「人を描く―日本の絵画を中心に」 | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館

 

ここはコレクションが豊富でいつも違うのがあるし、どれもとっても好みの作品なので見ていて楽しい。撮影可能だし。好き。

 

長谷川 潔 「宝石と香水」

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みるたびに「あ~なんか、あれに似てる。あの人。ほら、フランスの。え~っと、誰だっけ」となるので今回めっちゃ調べた。マティスだった。ちょっと似ている。

この人かなり好き。

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長谷川 潔 「狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)」

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ちょっとググってみたら、最初のよりこっちの画風の方が有名なんだね。こういう繊細なのも可愛い。

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モデルにしたというおもちゃも展示してあって興味深い。

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吉田 千鶴子「夜半の雪」

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手ぬぐいの柄みたいな作品。
これ、海だよねぇ。スノーマリンが静かに降り積もる深海の図。
とってもきれいだし、ずっと見ていていられる。見ていたら他の世界に行ってしまいそうな気持になる。

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中村 ケンゴ 「コンポジション トウキョウ」

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これ、すっごく面白い。

コンポジション、といったら普通まず思い出すのがモンドリアンじゃないですか。
それを下敷きにしたうえで表現されるのは、小さなアパートの間取り図。

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画像補正で正面向けたから欠けと歪み酷いけど。
とてもかわいらしいし、こうやってたくさん壁に並べるのがとっても素敵。

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写真展示室ではヒロシマの原爆についての写真が企画展示されていた。
戦後少し経ってからと、最近と、同じ人のインタビューとポートレートを並べて、時間経過を問いかけるもの。

 

その中に、撮影拒否というものがあった。

戦後のインタビューでは「家族や友人にも話していないのに、何で私が被爆者だとわかったんだ。二度と来ないでくれ」という強い取材拒否の言葉が。
現代のインタビューでも同様に取材拒否した際の言葉が書かれていた。
つらいよね。そんなん、写真とか取れないよね。
そこまで拒否されて、必死に隠している本人の苦悩を無視して、何でその拒絶の言葉を自分の「作品」として掲示できるんだろう。
どの面下げて、そんな苦しみを味あわせた人にもう一度時間をおいてインタビューしようだなんて思えるんだろう。

撮影協力したいという人は、撮ればいい。語り継ぎたいという人の言葉は、語り継げばいい。
けれど、拒絶の言葉すらこうやって消費してしまうのなら、どうすれば本当に拒否することができるのだろうか。

ゲイジュツの名の下なら何をやってもいいわけないよなと思った。
つらいよ。

裸ってなんだろう 横浜美術館ヌード展 4/8

 横浜に用事があったので、横浜美術館のヌード展に行ってきたよ。

ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館

artexhibition.jp

英国テート・コレクションということで、イギリス絵画が中心。とはいえイギリスといえばめっちゃ倫理に厳しい国。清く正しくつつましく、欲望を表現するなんてとんでもない。「イギリス料理がまずいのはピューリタン的自己否定の精神から食欲を否定しているからだ」なんて話もあるほどです。
そのイギリス、しかも厳格なヴィクトリア朝から展示が始まります。どうすんのかな?と思ったら安心安全の神話画でした。

 

フレデリック・レイトン「プシュケの水浴」

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神話画は高尚だからエロじゃない!という理屈。
こちらはウェヌス(ヴィーナス)の息子であるクピドの妻が、夫の帰りの前に身支度を整えている姿。
のちに神の仲間入りをした後は蝶の羽をもつようになるので、この時点では人間の娘なのかな?

 とても美しい作品です。
厳格なキリスト教徒にとってのギリシャローマ神話ってどういう扱いなんでしょうねぇ。キリストの原型とみなされたと聞きはするけれど、異教徒なことは確かなのだし。けれどエキゾチズムという感じよりは、自分たちの一部な気がするんだよね。

 

この時代はラファエロ前派の全盛期。アーツ&クラフト運動と相まって、庶民にもわかりやすく美しく、精神を健全に成長させるような啓蒙的な作品が目立ちます。

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ハーバート・ドレイパー「イカロス哀悼」

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2016年に文化村でやったラファエロ前派展でも見た。この絵すごく美しいです。
ラファエロ前派は、光の、特に逆光の使い方がいいよねぇ。他にもイカロスの彫像もあったので人気のモチーフだったのかもしれません。

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ローレンス・アルマ=タデマ「お気に入りの習慣」

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これはもう完全に、歴史画のポーズをとったヌード画ですね。目的はエロじゃないから!ないから!!という主張を感じる。
眩しい外の光が美しく、異国情緒漂う光景が綺麗。特にねぇ、この紫色の花が取っても素晴らしかった。

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アンナ・リー・メリット「締め出された愛」

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これはどういう情景なのか、キャプションは特にありませんでした。不思議に引き付けられる絵です。
「締め出されたキューピッド」とも呼ばれるこの絵は、霊廟をこじ開けようとするクピドと解釈されるのが定番のよう。若くして死んだ画家の夫を偲んだ絵ということです。
よく見ると足元に矢が落ちているし、香炉っぽいものもあります。枯れた花と合わせて愛のはかなさを表現しているのでしょうか。

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ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ベッドに横たわるスイス人の裸の女性とその相手」

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これはまぁびっくりの、ターナーの裸体画。
幻想的な風景画で知られる彼のデッサン帳に、このたぐいの水彩スケッチがみっちりあったということで大変驚きました。死後ターナーの遺族が彼の評判を落とさないようにほとんど焼き捨てたというのも何となく納得です。

でもこれって本当に完全に個人的なものなのかな?
実は好事家の間でひそかに出回っていたりしないのかな??
とか想像してしまうけれど、だとしたらもっと出てきてもいいだろうしなぁ。

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オーギュスト・ロダン「接吻」

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巨大な大理石像。なめらかな肌の表現や意外とブロック状に掘り残された髪型など質感の対比が面白いです。ここまでになると、すげーな!しか感想が浮かばない。

これだけ撮影可能です。

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と、気になったのはこれくらい。この後はモダン画やシュールレアリズムになっていくのだけれど、そうなるともうヌードとは???な感じになっていくね。
ピカソの裸婦エッチングとか、ゲルニカよりどぎつい感じで、なんというか正直アメリカのシリアルキラーが描いた絵みたいで。子供が見たらエロじゃない理由でトラウマになりそうだなぁと思った。
近現代の作品グッツがあまりないのは、権利関係以上に芸術とは、って感じで難しいのかなぁと思いました。公式サイトで見てちょ。

 

面白いなぁと思ったのが、イギリスのラファエロ前派と、フランスのマティスドガ、ボナールといった現代絵画に分類されるような作品との間が10年も空いていないことですね。ピューリタン的思想やヴィクトリア朝の厳格さが、イギリス画壇の時代を止めていたのかなぁと思う。

 

ハンス・ベルメールの人形本体があったのもレアだと思う。写真はよく見るけれど、人形そのものはあまり見る機会が無いよね。

 

なんかよくわからないなぁと正直思う作品も多かったけれど、おおむね面白かった。

パリジェンヌは戦い 世田谷美術館 パリジェンヌ展 3/24

世田谷美術館のパリジェンヌ展に行ってきた。

paris2017-18.jp

面白かった。めっちゃメモ取ってたら、監視員の人が書類ばさみ貸してくれた。やさしい。

 ゲアダ・ヴィーイナ「スコットランドシルクのベスト、ねずみ色の綿の厚手クレープのスカート『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード』より、プレート170」1914年

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全体的にタイトルが長い。
売店にこの猫のぬいぐるみが大量に売っててめっちゃブサ可愛くて買うか迷った…うちのリアル猫に壊されるから買わなかったけど。

 

この展示をどう捉えるべきなのだろうかと図録を読みながら考えていたら、なんだか時間がかかって展示が終わってしまった。ので、素直に思ったことを書こうと思う。
なので今回はあまり美術の話はしない。

 

唐突なんだけど、私は差別というものが正直よく理解できていない。

あるのだということも解るし、おそらくは無自覚なだけで自分でもしてしまっているのだろうと思うけれど、たまに直面すると「え?なんでそんな発想になるの??」という驚きが先に立ってしまう。
それは多分私が良い教育を受けているとか躾がちゃんとされているからではなく、単に狭い世界で生きてきたからなのだろうと思う。同種の人間しかいないところでは差別は明確に起こりづらい。単一民族しかいないところで人種差別は起こらないし、女性しかいないところで性差別は起こらないという単純なことだったのだろうと思う。

要は無知なのだ。
最近ちょっとやべーなと思い始めていたりする。

 

 ジャン=オノレ・フラゴナール「良き母親」1777-79年頃

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まるまると太った子供、安全で美しい庭、若くやさしく美しい母。
伝統的な理想的母子像と言えるかもしれない。けれども。

これは決して“伝統的"などではないとこの展示では解説される。
そもそも、「子供を母親が育てる」ということが上流階級ではありえないことであった。貴族や王族の子供たちは生まれると早々に親から引き離され、乳母に育てられるのが慣例だった。これはヨーロッパに限った話ではなく、日本だってそうだ。
というか、そもそも「無垢でか弱く庇護対象である子供」という概念自体が、18世紀に生まれたものだ。
当時女性はすでに、ファッショナブルな美しさ、小粋な会話でサロンを主催する知性、室内調度を流行に即して整えるセンス、使用人を監督して家庭を管理する能力を求められていた。それらに加えて「穏やかで完璧な母性」をも求められるようになったという事実が紹介されている。

あれ、これ、普通の美術展じゃなくね?

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トマ・クチュール「未亡人」1840年

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喪服に身を包んだはかなげな美女。
夫を失った彼女は、この後どのような人生を送るのだろうか?
この時代、特に上流階級の女性に置いて、まともな仕事などは存在しない。女性が一人で街を歩くこともまともにできなかった時代だ。彼女が自分や子供を養える仕事に就くことはまず無理だろう。
誰かと再婚をするのが一般的な身の振り方なのだろうと思う。
その彼女の悲しみを、こうして娯楽として消耗することに戸惑いを覚える。

また、不幸にして身を持ち崩してしまった、働き口が無く娼婦となった女性に対する世間の目は恐ろしく厳しい。
これミュシャ展の時も思ったのだけれど、娼婦に異様に厳しくない?"ふしだら"な女性が一人いるとして、周りには"ふしだら"な男性が複数いるはずなのだけれど、なぜ女性ばかり責められるの?なぜ女性が男性を堕落させたことになるの?男性が彼女たちを利用しなければいいんじゃないか、もっと社会福祉をすればよいのではないか、そもそも限られた狭い役割以外を許さないのをやめて仕事を普通にやらせればいいのではないかと思う。

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ポール・ガヴァルニ(イポリット・ギョーム・シュウルピス・シュヴァリエ
E.ド・B.(ボーモン)婦人「ラルティスト」<女性芸術家たち>より 1856年

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家庭の中で良き妻良き母である限りは、世間は女性に優しい。

(前略)だが、心配には及ばない。彼女は聴衆のために演奏しようとしているのではない。彼女は普段着の姿だ。自分自身のためだけに弾くのである。(後略)

「女性芸術家たち」というタイトルがつけられたシリーズでは、芸術家たる女性が、家庭内で趣味としてのみ活動していることが強調されている。
そもそも、芸術家として認められるために必須だったアカデミーへの入会が、女性は認められていない。

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オノレ・ドーミエ青鞜派>第7図「母親は創作に熱中し、子供は浴槽の中」1844年

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家庭の範囲を超えて芸術家を目指そうとする女性に対しての目はぎょっとするほどだ。
いま「青鞜派」といえば女性芸術家として自立した強く現代的な女性たち、という印象だろう。平塚らいてうのこともあって、政治的というイメージもあるかもしれない。
けれど当時の社会の目がこれだ。自分のことに没頭して家庭を顧みず、子供すら不注意で殺してしまう。
こんなことが実際にあったとは思えない。思えないけれど、ねつ造して嘲笑してよい存在ではあったようだ。

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オノレ・ドーミエ 「半社交界(ドゥミ・モンド)の女性が半スカートを着ているわけではない」

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ドゥミ・モンドというのは昔ながらの貴族ではなく、新興の成金達、特に女性に関して言うならば娼婦達のことだ。

18世紀から20世紀、女性の服の流行は常に厳しい目が向けられている。派手な格好、奇抜な髪型の貴族女性の絵画を見たことがないだろうか。ただのファッションプレートだけでなく、こうした風刺画で極端に戯画化されたものも多い。

この絵ではスカートのボリュームがあまりにも大きくなったことを風刺している。

しかしこのタイトルからもわかるように「社交界にいるべきでない人間が社交界の服装をしていること」を皮肉っているように、このボリューミーなスカートは社会規範として女性に求められているものなのだ。

一方でドレスコードを強制し、一方でそれを揶揄する。その神経ってなんなんだろう。

18世紀に流行した高く結い上げる髪型や、19世紀のシュミーズドレスをモスリン病と、バカにする資格が誰にあるんだろうか。そしてこの風刺画が今でも伝わり、ファッションを優先にした愚かな人達という印象操作を受けているのはなんなんだろう。

 

こういうのは本当は、男性の、男性による、男性のための内輪ネタなんだろうなと思う。シャルリー・エブドの国だなぁ。変わんなぁなぁと思うけど。

日本だって1990年代の女子高生をヤマンバってバカにしてたよなぁとか考えちゃう。

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フランソワ・グザヴィエ・サジェ「パリの街を行く」製作年不詳

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パリジェンヌ展、と言いながら、女性がパリの街を歩く姿は少ない。だいたいの絵は室内の写真だし、屋外にいる場合は複数人で連れ立った様子が描かれている。
19世紀後半になってやっと増えだした女性芸術家の描く絵は、静物画が多い。
もちろん、好き好んでではない。一人で自由に外を歩くことができないのだ。
女性が一人でいれば、男性からの声が必ずかかるそうした様子がこのポストカードにも表されている。

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左:ジョセフ・ルロランタン・レオン・ボナ「メアリー・シアーズ」1878年

右:レギーナ・レラング「カルダン」1958年

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パリジェンヌ展のキャッチコピー「憧れるのは、なぜ。」
なぜかと問われれば、彼女たちが強いからだろうと思う。時代に押し込められ、不自由を押しつけられ、反抗すれば嘲笑される。それでも自分であるために抗い、しっかりと立ち続ける。その強さがパリジェンヌを作っているのだろうと思う。

「今日のパリジェンヌは、つんとした鼻をもち、その赤い唇は官能性をあらわにする一方で、長いまつげの下の目は無関心さを意味している」

そう表現されたパリジェンヌの姿は、100年の時を経ても変わらないものなのだ。

クローン発生中 ブリューゲル展 3/23

私用が早く終わって暇すぎるので、東京都美術館ブリューゲル展を見てきた。

www.tobikan.jp

www.ntv.co.jp

って、今知ったんだけど2月なら撮影できたんだね…悲しみだね…こんなブログ見てないで、2月に行った人の写真付きブログを見ればいいじゃん…(やさぐれ
どうせ行くからって油断してないで、ちゃんと展示情報チェックしとかないといけないね。

 

ブリューゲルかぁ、去年のボス展とバベルの塔展で結構見たよなぁと思ったけど初見のものがすごく多かった。という見たことあるのは2,3個だった(ただし自家コピー作品は初見かどうか正直わからん)。
そもそも展示物がめっちゃいっぱいある。カタログ上で101点ある。しかもそのほとんどが「個人蔵」なのもすごく気になる。誰だこんなの思ってる御大臣は。
意外なところでルーベンスが1つあったよ。

 

見た人みんな言ってるけど、家系図があってブリューゲル一族の作品にはすべてそれが「親/子/孫」のどれかってのが明示されているのが便利。

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 ブリューゲル一族はやっぱり初代が有名だし、みんなが同じ作品を欲しがるので自家コピーのものが多い。お父さんが描いた絵をコピーして子供が作るとか。
模造品というより、今だったら写真印刷してポスターとか作るところを手描きでやってる感覚なんだろうね。
かなり精密なコピーを作っていても、作者や時代の違いによって作風がちょっとずつ違うのが面白い。
例えばピーテル2世の鳥罠は父親のピーテル1世より色が赤っぽくセピアがかり、輪郭も優しい印象。
ヤン1世の作品は明暗がしっかりしていてドラマティックな感じがするが、その子供のヤン2世はメロドラマ的な甘ったるさがある。でも両方他の動物は普通にリアルなのに、馬の目だけ妙に少女漫画っぽくキラキラして面白い。
お気に入りのブリューゲルを探すのがよいと思う。

 

この時代は絵の分業制が進んでいたそうだ。背景はこの人が描いて、人物はこの人が描いて、という風にあちこちの工房を絵が移動するため、持ち運びしやすい金属板などに描かれることもあったというのも面白い。絵の具が進化してきたからできるんだね。

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マールテン・ファン・ファルケンボルフ/ヘンドリク・ファン・クレーフェ
バベルの塔

f:id:minnagi:20180325161820j:imageいきなりブリューゲルじゃない絵だけど。
ピーテル・ブリューゲル1世の「バベルの塔」に影響された1枚。

見どころ|【公式】 ブリューゲル「バベルの塔」展

だけど、ブリューゲルのより人間がぐっと増え、神様の姿も追加され、なんというか人間味と信仰心にあふれています。
ピーテル1世の作品って、もっと冷たいよね。人間が描かれていても、興味があまりない感じ。
今回の作品で言うと、船シリーズで義父のヒエロニムス・コックの指示でイカロスとか書き込まれた「イカロスの墜落の情景を伴う3本マストの武装帆船」より、「港に向かう4本マストの武装帆船」が力強く美しいし、気合入ってる感がある。

この時代の人だから無神論者というわけでもないのだろうけれど、あんまり神や人に興味が無くて建築構造とかのほうが好きだったんじゃないかなぁと思う。

ここまで人間増やしちゃうと、ちょっとうるさいよね。オリジナルの圧倒的な感じが抜け落ちている。

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ピーテル・ブリューゲル1世/ヤーコプ・グリンメル
「種をまく人のたとえがある風景」f:id:minnagi:20180325161755j:image

近景に種をまく人がいて、対岸の船とかがキリストの説教風景なんだとか。小さすぎてわかんないけど。
宗教色すごい強い。

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ヤン・ブリューゲル1世(?)/ルカス・ファン・ファルケンボルフ
「アーチ状の橋のある海沿いの町」f:id:minnagi:20180325161809j:image

この海の色がすごくいい!ブリューゲルは近景、海がファルケンボルフです。
大航海時代が始まって、異国を思わせる海や船の絵が人気になったとのこと。

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アンブロシウス・ブリューゲル「花瓶に入ったチューリップとダリア」

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ブリューゲルといえば、花だよねぇ。ポストカードはなかったけれど、ヤン・ピーテル・ブリューゲルの「花の静物」が一番好きだ。赤い下を向いた花があるやつ。
これぞブリューゲル!って感じのは「籠と陶器の花瓶に入った花束」かな。

 やたらチューリップが多いのは、この時代にチューリップ・バブルが起きていたからです。黒いチューリップとか物語にもなっているよね。

 

ポストカードないやつは、セバスティアン・フランクの「野に向かう農民のいる風景」構図が面白くて良かった。風景がなんだけれど、手前に大きく農民を描いているの。

 

町の風景に、こういう謎の構造物があってなんだか分からず気になった。雪よけ?にしてや屋根の部分小さいしなぁ。 

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いつものフォトスポット

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ガチャガチャがあって面白いなと思った。けど私もうこういうグッツには手を出さないって決めてるんだ!キリが無いから!!f:id:minnagi:20180326181505j:image

めっちゃよくできてる。

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ボリュームすごいし細かい絵も多いから、ゆっくり見れる時間に行くと良い。