人の金で美術館に行きたい+読

美術館に行った話とか猫の話とかします。美術館に呼んでほしい。あと濫読の記録。




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自由すぎる戸惑い 作家ピカソ展 9/29

インスティトゥト・セルバンテス東京という舌を噛みそうなところで作家ピカソ展を見てきた。

cultura.cervantes.es

これが何の展示かというと、文字通り作家としてのピカソを特集した展示。
ちょっとだけ絵皿があったりするけれど、基本的にはピカソの書いた詩の原稿(ファクシミリ版)しかない。


ピカソといえばスペイン生まれでフランスで活躍した画家。キュビズムの開始者の一人。世界で一番有名な画家のひとりといって間違いない人だ。
しかしその彼が1935年、54歳の時に数か月全く絵を描かなかったこと、そしてその時期から1959年頃までの間、画家としての活動と並行して詩人、戯曲家として文筆活動をしていたことはあまり知られていないと思う。というか知らなかった。

スペイン語とフランス語とのごちゃまぜで文法も無視し、句読点すらない言語のサラダのようなその詩の原稿を読むことは私にもできない。スペイン語ネイティブでフランス語話者でもある人でしか理解することはできないだろう。
というか自動筆記的なその文はたとえ文章が読めても内容は取れないものらしい。シュールレアリスム的と表現されていた。入場した時にもらえる冊子に日本語訳は載っているけれど、それを読んでも意味は分からない。
でもさー!言語が読めれば音の美しさとかはわかるはずなんだよなー!!!リズムとかさ。韻律って詩の中で一番大事な要素じゃんかねぇ?!
実に自分の教養のなさが悲しい。

 

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これが一番好きかなぁ。親友サバルテスへ渡した詩だそうです。
親友に自分のことをこんな風に書かれたら、一生ついて行っちゃうよね……
ほかの作品に比べて丁寧に書かれてたり、きっちり四角に書いてるのも愛を感じる。

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これもいい。子供のころを思い出している話。


そして今(中略)自室のベッドに横たわりなぜかわからないけれど私が書いていることとは何の関係もないこういうことすべてを思い出しているあるいは単にそれは芸を仕込まれたサルのうずうずさせるようなデッサンによって調教されるに任せることなく自由に漂うことがうれしくて狂ったように回る糸の見せかけの刺繍であるかもしれない

というところが好き。一人でいるときにぼんやり志向がさまよいだしている感じ。
自分が主体的に考えているのか、自分という存在自体が何かのシステムに過ぎないのかという漠然とした不安感。

作品は大体前の日にあったことがモチーフだそうです。
というか、日記…日記と自由詩ってどう違うの…
ここはピカソならではだよなあという。
そういう決まり事を全部無視して押し切るパワーがあるところとか、すでに巨匠だから自由に書いたら周りが勝手に良さを探してくれるところとか。
だってこれ若手が書いたらポイ捨てされる案件だよなって。

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ていうか、”書”にあまり美を見いだせない自分がちょっともったいない。
日本語の書道とか学生時代のトラウマ(悪筆が過ぎて成績どん底)がよみがえってみていて楽しくないというか墨のにおいすら嫌いだし、書かれているのが文字って認識しちゃうと読むことに熱中してしまって書影の美しさとかどうでもよくなっちゃうんだよなぁ。
だから正直写本美術も「きれいねー」くらいしかわからないという…常設展のついでなら見に行くけど、それ自体を目的に美術展に行くことはおそらくこれからもない…
むずかしい。