人の金で美術館に行きたい

美術館に行った話とか猫の話とかします。美術館に呼んでほしい。

にほんブログ村
にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
Push
にほんブログ村 猫ブログ MIX黒猫へ
Push

雪にはすべて負ける 岡本太郎記念館 2/9

小雪の降りしきる中、表参道の岡本太郎記念館に行ってきた。

www.taro-okamoto.or.jp

あまりに寒かったので、写真がぶれっぶれである。そして気付いたけど、最近こればっかり言っている。お庭もあって色々彫刻が置いてあったのだけれど、寒すぎてパス。

太郎はやっぱり夏だったね。

f:id:minnagi:20190213120411j:image

岡本太郎は言わずと知れた日本の画家で、1911年生まれ1996年没だから、私もテレビに出ているのを見た覚えが何となくある。細かいことは覚えていないが、「芸術は爆発だ!」とか言っていた気がする。そういいながら、キャンパスに絵の具の詰まったボールを投げつけて絵を描いていた人がいた記憶があるが、多分それはインスパイヤ系の別の人だろう。
高度成長期に人気があった人なので割とそこらじゅうに作品がある(渋谷駅とか、有楽町数寄屋橋公園とか)のだが、子どもの頃はあんまり意識したことはなかったように思う。
今では日本人画家の中ではトップクラスで好きな人といってもよい。

岡本太郎記念館は、元々彼が住居兼アトリエとして使っていた建物だそうだ。多分庭のある半分が元の形を保っていて、残り半分が美術館として建て増したところだろう。アトリエ入口の天井が不自然にぼこぼこしているところからそう推察される。って、京都人が言ってた。

アトリエの手前に応接室があって、彼の作品を実際に利用しているかのような部屋になっている。時計や椅子、ティーセットなども彼のデザインしたものだ。
本人そっくりのマネキンも立っていて、いることはわかっていてもちょっと薄暗い部屋で実際に見ると心底ビビる。存在感がありすぎだ。
f:id:minnagi:20190213120419j:image

ちなみに、覗きこもうとあんまり身を乗り出すと、中にはいるなという自動音声が流れる。私じゃないよ。他の人がうっかり鳴らしてたの聞いただけだよ。



「叫び」「ダンス」
f:id:minnagi:20190213115956j:image

太郎感が強い。なんというか、太郎感としか言いようがない。
ダンスの方はとてもかわいらしくて好きだ。叫びの方は、ユーモラスではあるけれども情けない感じがする。ムンクの叫びのような切迫感はないけれど、エネルギーに満ち満ちている分存在感がある。


実際に作品を制作していたアトリエにはびっくりするほどのキャンバスがしまってある。コンクリブロックを積み上げただけの簡素な建物なのだが、保存状態は大丈夫なのだろうか。金銭的価値はいかほどなのだろうか。
これほどたくさん作品があったなら、この記念館の経営なんてガバガバで大丈夫だろうなぁと思う。客が入らなくても、時々作品を売りに出すだけで資金的に困ることなんかないだろうな。

絵を描くのに使っていた刷毛が大量にあるのが興味深い。チマチマ筆で塗っていては、この迫力は出ないのかもしれない。

 

「座ることを拒む椅子」

f:id:minnagi:20190213142220j:image

「座ることを拒む椅子」
f:id:minnagi:20190213142216j:image

シリーズで顔のついた椅子がたくさんあった。陶器のものとプラスチックのものがある。
売店で缶バッチを売っていて、かわいかったので買ってしまった。顔が無くても座りにくそうだなぁと思う。

 

「顔のスピーカー」
f:id:minnagi:20190213120010j:image

これはあんまり顔っぽくないね。スピーカーいくつかありました。
岡本太郎が練習するジャズの歌声が流れていて、なかなかうまいなと思った。

同じフロアで現代作家さんの絵が展示されていたけど、まぁひどいなと思ったので割愛。趣味にあわな過ぎた。

「無題」
f:id:minnagi:20190213120407j:image

蛇と鶏のあいの子みたいな謎生物。かわいい。

 

以下、作品名不明。

f:id:minnagi:20190213120003j:image

何の絵だろうか。レモンやマルメロのような、胎果のような。力強く、まがまがしい果実。


f:id:minnagi:20190213120007j:image

トーテムポールのような彫刻と、アステカの神々のような絵。

こちら、オーディオルームに飾られていました。
岡本太郎の生前の動画がずっと流されていたのだけれど、何だか妙に引き付けられる物があってずっと見てしまった。

何気ない日常や作品制作の様子をずっと写しているのだが、なにぶん昔の映像なので画質が粗く、何をしているのかはっきりしないところも多くてもどかしかった。
数寄屋橋公園の時計を作っているのはわかったよ。

私こうやってブログを書くとき、毎回「焼き物のオブジェは彫刻なのだろうか?」って実はずっと迷っていました。
だって、塑像ってこねあげるものじゃん。刻んでないじゃん。
図工の時間に作ったけど、芯に粘土を巻きつけてぐにぐにと形作るものじゃん。「不要個所をそぎ落とすもの」ではなくて、「必要なものを追加していくもの」じゃん。
ずっとそういうなんか違うなって思いを持っていたのだけれど、岡本太郎の制作風景を見て「ああ、粘土像も彫刻だな」って思えた。粘土の塊からへらを使って完成品を削り出す作業なんだなぁと。
実際に見るって大事だね。

 

でも、例えばモビールとかも彫刻なの?って言われるとなんか違う気がするから、そのうちカテゴリ名を変えるかもしれない。「オブジェ」かな。でも大理石像をオブジェって呼ぶのもなんか違う気がするな。「立体」ではあいまいすぎるし。いい単語を思いついたら変えます。

読書 百年の,≪泉≫……便器が芸術になる時

読書をしたよ。

f:id:minnagi:20190204180243j:image

LIXILギャラリーに行った時に美術・建築関連の本がたくさんあるコーナーがあって。そこで気になった本を探して読んでみた。

2017年は、≪泉≫が誕生して100年です。皆でお祝いしましょう!
ま、なんと恥ずかしい言葉でしょう。恥ずかしすぎて、便器に顔を突っ込みたくなるほどです。

そんな一文から始まるこの本はとても面白かった。
2017年に京都で丸1年(!)やったというデュシャンの展示について、キュレーターとなった人たちが書いた原稿をまとめた本だ。いろんな人がいろんな観点から「泉」について語っていて、知らないことも多くてとても勉強になった。
オリジナルの写真は、合成写真という疑惑があるとか。京都にあるのはレディ・メイドではなくオーダーメイドだとか。そういう諸々は気になった人はこの本を読んで欲しい。もちろん美術の授業では習ったし、こないだの東京でやったデュシャン展で見はしたけれど、何も知らないんだなぁと思った。
極端な話、私この便器の向き勘違いしてたからね…サインがあるとこが上になるように使うんだねトイレでは。ほら、私こう見えてもプリンセスだから、男性用便器の正しい使い方とかわからんのよ。現在のとデザイン違いすぎるし。

 

しかし段組みに癖があって読みにくかったよ…。
本を回転させないと読めないページに小さい字で変な吹き出しの中に書かれた文章を一生懸命読んだ後、同じ文章が普通に後のページに印刷されていることに気付いた時には相当イラっとしたよ。そういう変なおしゃれさはいらない。

 

f:id:minnagi:20190204180450j:image

 初代「泉」について書かれたパンフレット。美術の教科書に載ってるやつ。
この下の文章とかちゃんと読んだことなかったなと思って。

 

さて、なぜ「泉」100周年を祝うことが恥ずかしいのか。
それは、「泉」が「芸術とは何か」を問いかけるための爆弾だからだ。

 

この本の冒頭から、「お祝いなんて恥ずかしい!」という文章を読んでから、そしてデュシャンのことを知れば知るほど頭を離れないのは、バンクシーのことだ。

 はずかしっ!という気持ちも一緒によみがえってげんなりする。
ぶっちゃけ本物かどうか疑わしいし、アート・テロリストとでもいうべき体制批判の作品を見つけて喜ぶ体制側という構図もみっともないし、これ幸いと2020の服を着て宣伝に使う知事が我が地元の長かとおもうと情けないし、アートと落書きを勝手に区別する行政も最悪だし、もうこのニュースは一個も直視できるところがない。
美術館が臆面もなく「おめでとう泉!」とか言っちゃう感覚に近いと思う。

また、著者の一人が言っていた「デュシャンはカウンターの人だ」と言っていたのも、バンクシーに近いなぁと思った。

デュシャンは最初画家を志していたけれど、どうも絵だけではトップに上り詰められそうもないと判断してトリッキーなレディ・メイド達現代アートを作り出した。
ダリはピカソさえいなければ画家の王となれたけれど、同時代の彼を上回れないからセルフ・プロデュースを頑張った。
藤田嗣治は普通にしていてもパリに受け入れられないから、エキゾチック系に寄せてみた

そんな意見を読んでなるほどなと思った。バンクシーもカウンターとして、パフォーマーとしてああいう風にやっているのかな、と。
何よりも、それらは全体の流れが大事だというところが近い。
バンクシーの絵は、ぶっちゃけキャンバスに描かれたら芸術的価値はほぼないと思う。絵そのものの価値はろくにない。風刺として、体制への愚弄として発表されるロック……というよりなんかヒップホップ的スタイルこそがバンクシーを特別にしているものだ。それは絵だけを切り取って成立するものではない。

 (余談だけど、だから藤田を私はあんま好きじゃない。ダリは絵そのものもすごいけど、藤田は文脈を捨てた作品自体はいまいちだ)

 

「泉」の発表時、大スキャンダルとなり多くの報道がされたけれど、新聞等では「便器」という単語を使うことすらできなかったという。あまりにも破廉恥だという理由で。
1917年。アール・デコの時代ではあるけれど近代化の初期の初期だ。
ポール・ポワレがコルセットを使わない服を発表したのが1906年だという。イギリスのヴィクトリア朝は1901年までだ。
ほんの10年前まで、世の中の女性はコルセットを当たり前につけ、足首まできっちりとスカートで隠し、「Leg」という単語すら避けて「limb」と呼んでいたのだ、というと何となく雰囲気がつかめると思う。
アメリカは少しは進歩的なのだろうけれど、やはりそういう時代から抜け切れてはいないのだろうね。
そこに投げ込まれた便器。相当衝撃だっただろう。
でも、今の時代に「泉」をみても、当時ほどの衝撃はない。
そもそもデザインがクラシカルすぎて何これ?から入るし、便器なんですよと言われても既によくわからん芸術が爆発したものを山ほど眺めた後の私たちには「ほーん、そういうやーつね」程度の感想は起こらないからだ。
この作品は、彫刻ではないからだ。
一種のインスタレーションだからだ。
あの時代、あの空気の中で喧々諤々の議論を巻き起こしたことに価値があるからだ。
そこでアートの流れを変えた、という歴史の一座標としての価値こそが高いのだ。
「泉」は美術史における記念碑だ。記念碑が建っていることが重要なのであって、記念碑自体の価値は建っていることの意義より高くなることはない。

 

ここで便器は芸術なのだろうか?という話はこれ以上しない。
ぶっちゃけ語りつくされていると思うし、読んだ本の内容を詳しく語ること、あるいはあっさり要約してしまうことは作者に失礼だと思うから。
気になったら読むといい。面白いから。

不発

毎週毎週美術館に行ってるわけじゃないんだよ…

というわけでこちらは、1月27日に藝大の卒展に行こうとして、開催期間を間違えて前日に行っちゃった帰りの写真です。
おかしいとおもったんだ。人少ないし。展示少ないし。てか作業中だし。
でも私みたいに勘違いした一般人と思しき人がいっぱいいました。
入口にドーンと掲示があるし構内案内図とかももう貼ってあるから間違えちゃう。予告って書いといて!
ちなみにだけど本番には行けなかった。地下鉄の駅もいけそうにないな…

 

上野公園から東京藝大に行く道には、こうやって立体作品が展示されているよ。

 

菊池 言美「雌蛸」

f:id:minnagi:20190204171826j:image

なんで雌なんだろ。

 

「ムズムズ」
f:id:minnagi:20190204171822j:image

作品名写真撮ったのだけど、ピンボケで作者名が読めなかった。すまぬ。
虫が寄り集まって槍のようになったもの。シンプルに嫌いじゃない。

 

柿傳ギャラリーの入り口に展示されてる作品がかっこいいから覗いてみたら、ギャラリー自体は休みだった。
前回の展示会も次回の展示会もこの作品じゃないみたいね?よくわかんない。

北村 純子 「Vessel 13-R」
f:id:minnagi:20190204171835j:image

艶のない焼き物、花瓶?貝柄か金属箔でしょうか、象嵌されている。f:id:minnagi:20190204171831j:image

きっちりした長方形に幾何学模様だけれど、渦を巻く柄がなんだか刺子みたいで和風な印象を受ける。好きです。

 

お気に入りの猫じゃらしをなめる猫、可愛いです。
f:id:minnagi:20190204171815j:image

お自慢のお時間

いや~~~ん!!!うちのにゃんこめっちゃくちゃかわいいいいいい!!!!!
舌がはみ出てるぅううううううぷりちぃいいいいいいい!!!!

f:id:minnagi:20190129162900j:image

というわけで、ポットを買った。
というのも、みなぎ家ではほぼ毎晩お茶を飲むのだが、愚かな私たちはそのためのポットを1年で2回割ったからだ。

実際ティーポットを買おうとしてみればわかるんだけど、今どき普通に売っているのはガラス製が主である。アマゾンとかで売れ筋をみるとよい。ほぼガラスだから。
しかし、初代ガラスポットは購入後2カ月ほどで京都人が割り、次のポットは半年ほどたった後私が割った。不器用で粗忽者なのだ。

なのでもうガラスはやめましょう、となったのだけれど、じゃあ何にしようかね、と。
アクリルは分子の隙間が大きくて色々沁みつくので嫌。南部鉄器みたいなのは確かに割れないだろうけれど、重いので絶対他の皿をぶつけて割る。
軽い金属性のは意外と高いしデザインが気に入らない。
割れても惜しくないものを、と適当にニトリで買った陶器のポットはかわいくはあったけれど所詮ニトリ。水切れが非常に悪くて周りを汚しまくる。

というわけで適当に手ごろなのを見つくろって買いました。アンティークのシルバープレートティーポット。

f:id:minnagi:20190129162856j:image

バチェラーサイズという一人用サイズとのことですが、400ml入ります。ティーカップ4杯分、マグカップ2杯分。日本の感覚だと2人用だわね。イギリスはたっぷり飲むのだなぁ。
1872~1891年製ですが、イギリスで再メッキ済みということなので中も外もピカピカです。全然使える。本当は純銀製だったらガシガシ洗ってもめっきはげる不安無くていいんだろうけれど、お値段10倍だからね……
ティーポットはこういう風に丸い形であるべきだと思うんですけど、探すと安めのは台形のものばかりです。お手頃で見つかってよかった。

f:id:minnagi:20190129163045j:image

ついでなので、サイドテーブルとして買ったチッペンデール様式のテーブルも自慢しておきます。1920年ごろのもの。
ソファーに座った時に紅茶置きとして使おうと思ったのですが、現在は当然のように猫の踏み台になっています。ここに上って、押し入れの中からおやつを出せと要求してくる。
f:id:minnagi:20190129163042j:image

 実はこのポットを買う前にもう1個買っていたのですが、こっちは正直ちと失敗。
中のめっきが完全にはげてるし、大きすぎて2人で使うには持て余す。
なにより、通販で買う時に「刻印見せてください」って画像送ってもらったんですけどね。どうやらこれ一度底が抜けたようでがっつり修理した跡があるんですけどね。その部分をかくした画像送られてさぁ。サギるつもり満々の業者にあたってしまった。
置物としても許せる程度の値段だからいいけどさ。見るたび「サギられたな」ってちょっとしょんぼりした気持ちになる。
通販って怖いね。

流されて、図書館。 国際子ども図書館 1/27

博物館動物園駅に行きたかったんですけど、行けなかった…午後についたら、朝配ってる整理券が無いと入れないよって言われた。そういうのはもっと目立つように告知して欲しい。悲しい。寒い。

なのですぐ近くの、前から気になっていた国際子ども図書館に行ったよ。

www.kodomo.go.jp


開館直後に行ったきりだから19年振りとかになる。

f:id:minnagi:20190128114801j:image

図書館なので、無料で入場できます。もちろん本を読んだりコピーしたりはできるんだけど、貸し出しはできないという不思議な図書館。
カフェもあるけど手が足りてない感じでちょっと汚かった…

著作権とかの関係で、本が置いてある部屋は撮影禁止。床や天井の漆喰装飾が美しいので残念だけど仕方ない。
廊下や階段などは撮影可能とのことです。
f:id:minnagi:20190128114753j:image

明治に建てられたものを昭和に改築して、さらに平成で大改築して現在の様子になってるもので、どこからどこまでいつのものなのかよくわからない。
この階段裏すごくおしゃれだけど、あんまりきれいだから新しいやつなんだろうな。わざわざカバーつけてるってことは、この手すりは古いものなんだろうな。そうやって考えながら見る。

f:id:minnagi:20190128114736j:image

これは2階だったと思う、元々の外壁。今では外側を囲うようにガラスの廊下ができています。当時の窓は木枠。現代の感覚では図書館にはとても使えないね。

f:id:minnagi:20190128114745j:image

3階のテラス。外壁のレリーフなどが間近に見える。元の石材とかを結構大胆にカットして新しい構造とつないでいるのを見ると、そんな扱いでいいのかな?と不安になる。

f:id:minnagi:20190128114757j:image

大ホール。こちらは昭和に増築された部分です。なかなかすっきりとかっこいい。

f:id:minnagi:20190128114733j:image

全体模型がありました。改築を担当したのは安藤忠雄建築事務所だそうです。

「こうやって元の建物に新しいものをブッ刺して貫くのは忠雄ちゃん仕草」
「中のコンクリ打ち剥がしがすごいまっ平ら。お金かかってる。」
とは京都人の弁。そういえば安藤忠雄展、NYのビルにこういう感じのガラス直方体を差し込んだのとかあったな。

安藤忠雄 マンハッタン ペントハウス - Google 画像検索


にしても、元々の玄関をぶっ潰すってひどくないのかな。いいのかな。

 

建物の歴史が色々展示されてました。

f:id:minnagi:20190128114741j:image

東洋一の図書館を目標に設計されました。
(中略)
財政上の都合で当初建築の1/3の建設に留まった

こんな…こんな悲しい歴史があるだろうか……

財政上の都合、というのは日露戦争だそうです。戦争に勝ったはいいけど借金まみれで赤字になったという。戦争なんて金もうけのためにやるんじゃないのかよぉ。
一番に切り詰められるのは文化なんだなぁと悲しくなりますね。
色々資料やパンフを読み進めると、平成の改築前の状態は結構悪かったんじゃないかなぁと思えてきます。だから文化財として建物を保存するよりも、大胆に作り直す方を選んだんだろうな。
f:id:minnagi:20190128125441j:image

建築開始がもう少し早かったらなぁと思わずにはいられません。
個人的に図書館は大好きです。私は本がすごく好きだし、めちゃくちゃ読むので図書館なしの人生は考えられない。子どもの頃は毎週末複数の図書館をめぐって大量に本を借りていたものです。
経済的に恵まれてない私の娯楽であったし、家庭に恵まれていない私の逃避先でもあった。知識の大部分は図書館によるところが非常に大きい。
図書館を使わない、大人になってもシステムも知らないという人が割と多いのを最近知って、正直驚いてもいる。
図書館がなかったら、子どもはどうやって本を読むの?全部お小遣いで買うの?大富豪なの…???
大事にしようぜ、文化。

野生のみなぎが現れた! 枯山水サラウンディング 1/19

リクシルギャラリーの最後はインスタレーション

www.livingculture.lixil

いきなり竹林があって戸惑う。

f:id:minnagi:20190122124353j:image

なんか鳥の巣みたいなのがある。
f:id:minnagi:20190122124407j:image

✝駄天使✝みたいなエリアとかある。
f:id:minnagi:20190122124356j:image

動画が流れている。

f:id:minnagi:20190122124348j:image

というあたりで、入口に置いてあるパンフレットを読んでみる。
そしたら製作前のスケッチと✝駄天使✝みたいなポエム、そして説明文がある。

f:id:minnagi:20190124125350j:image
よく読むと、展示のメインは音声らしい。動画やオブジェは、その音声を感じるための仕組みなんだそうだ。

で、入口を振り返ってみると写真撮影OKですよ的なマークの横に、触っていいですよマークがある。ピコーン!
「これ、ぶら下げられてる竹を触って音出して楽しむもんじゃね??」

ひらめいたので竹をゆらゆらカンカンして遊んでたら、係員のお姉さんに声をかけられました。

「作品の中に入って結構です」

まじで?まじなの?

だって、そんなことしたらさぁ。

作品名「ウンコする京都人」みたいになるんじゃね??
f:id:minnagi:20190122124403j:image

なった。

ついでなので私も写真撮ってもらった。
作品名「巣を荒らされて威嚇する野生のみなぎ」
f:id:minnagi:20190122124400j:image

楽しかった。
作者の意図とは絶対違うと思う。

ガッシャーン 寄神宗美展 1/19

リクシルギャラリーは基本的にメイン展示のほかミニ展示を2個行っているものなので、もう1個見た。

www.livingculture.lixil

f:id:minnagi:20190122123348j:image

率直な感想:宇宙船みたいだな
f:id:minnagi:20190122123342j:image

作品名の記載はありませんでした。
陶器と木の組み合わせ作品のようで、球に木がブッ刺さってたりする。
f:id:minnagi:20190122123338j:image

花瓶っぽく見えるけど穴があいているわけではない。オブジェです。
f:id:minnagi:20190122123345j:image

つなぎ目があまりになめらかなので「これって本当に木?木っぽく着彩した陶器?と疑問に思う。多分木、だと思う。

 解説によると

まず白雲土や磁土にて、手練り、タタラ、時には石膏型を使用したりして、かたちを作ります。順次そのかたちを整形し、乾燥させた後、細かいサンドペーパーで削って、更に整形して完全なかたちにしてから、研磨用の光沢のある石で表面を磨き上げ光らせ、それを数辺に割ります。これはどのように割れるかコントロール出来ません。そうして割れた破片を三つに分けそれぞれ、黒陶、白陶、窯変の窯に入れて焼成します。これが焼き上がるとそれらの破片を接着剤にて繋ぎ合わせて元のかたちに再生します。最後に表面の接着面の目地に石膏を埋めて仕上げます。

 だって(先頭の公式サイトより引用)

あれだ、陶芸家が「こんなもん失敗作じゃ!」って割るやつだ。
正直綺麗だけどあんま好みじゃないなぁって私は思うのですが、この説明を読んでから俄然京都人が興味を示しだした。気に入ったらしい。
すごい表面なめらかで、無機的でもあり有機的でもあるところが面白いですね。

くらいに見た時は思っていたのだけれど、今はアレ結構よかったなぁと思っている。
こうやって評価が後から変わるのは、私にしては珍しいことだ。
もっとこう、小さい作品があるとよかったな。手のひらに載るくらいの。
そして展示作品として眺めるのではなく、手にとって見たかった。
ひび割れと、色の変わり目と、材質の差と、それらがなめらかにつながっている様を撫でてみたかった。そうしたら、もっと好きになってしまうのではないかと思う。