眠りは目覚めへの期待 眠り展 国立近代美術館 12/23
国立近代美術館に行ってきた。なぜならルドンがいるから!
というわけで眠り展。「眠り」をテーマにした展示ですが、すごくおもしろかった。まず会場のデザインがかっこいいし、「眠り」自体を多角的にとらえていてよかった。
序章 目を閉じて
第1章 夢かうつつか
第2章 生のかなしみ
第3章 私はただ眠っているわけではない
第4章 目覚めを待つ
第5章 河原温 存在の証しとしての眠り
単純に「眠り」といってもこれだけの角度から作品を集めているということは、この展示自体が一つのインスタレーションなんだな。さすがキュレーターはすごいなと思った。展示自体が芸術作品みたいなもんだよ。
特に第3章で「『抵抗』としての眠り」「無反応という『眠り』」を扱っていてなかなか考えさせられる構成だった。また、「眠りは小さな死である」というのも、だからこそこれほど惹きつけられるのかという学びがある。ゴヤやルドンはまさにそれだよね。
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オディロン・ルドン「若き日の仏陀」
序章の「瞳を閉じて」。眠っているわけではない、瞑想する姿。モノクロのリトグラフで描かれる仏陀に比べて非常に鮮やかで穏やかな世界。けれどこの段階ですでに彼は、生と死の境目をさまよっているように見える。そういう二元的なものを通り過ぎようとしてるところ。
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マックス・エルンスト「博物誌」より「地震」
フロッタージュの作品。フロッタージュって幼稚園とかで習ったけど、エルンストが考案したんだって!知らなかった。
レコードか何かだろうか、写し取られた波紋は確かに地震の波のようで、その発生源となる裂け目からは何がのぞいているのだろうかと少し怖くなる作品。
エルンスト好きなので作品いろいろあって楽しかったけど、なんでたくさんあるのか気づいて悲しくなった。国立西洋美術館が休館してるからじゃん…やだ……
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楢橋 朝子「"half awake and half asleep in the water"シリーズよりMekari.2004」
タイトルより先に作品を見て「これ、おぼれ死ぬ最後の瞬間に見る景色じゃん」って思った。いや、これ本と死ぬ瞬間の視界じゃん。眠りって永遠の眠りかなって思うじゃん。
けどまあタイトルや解説なんかを見ると、波の上に揺蕩っている様子を表現しているようですね。もう少し波が穏やかな作品もあったけど、やっぱり死にかけにしか見えないのは海の色がどう見ても冬の冷たい水だからかな。ハワイとかなら違うように見えるかもしれない。
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フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス「ロス・カプリーチョス」より「ほら、お化けが来るよ」
悪い子をさらいにやってくるお化け。
どう見ても招待は大人がシーツを被っているだけなのだけれど、子供たちは本気でおびえている。
それに対して子守の女性のこの甘美な表情はどうだろう。うっとりとお化けの顔を見つめ、子供たちなど全く目に入っていない。
お化けの中の人と恋仲なのだろうというあたりさわりのない感想を飛び越えて、お化け、むしろ死そのものに心を奪われているように見える。
この絵いいなぁ。メインビジュアルになってる「理性の眠りは怪物を生む」も好きだけれど、この絵もものすごくいい。ポスターが欲しい。寝室に貼りたい。
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金明淑「ミョボン」
最後の一枚。
男とも女とも、生きているかもわからない眠る人のイメージ。画面を覆う金色の靄は蜘蛛の巣かも何かの菌糸かもしれず、そもそも人なのか彫刻なのかもわからない。ただ悠久の時を眠っているように見える。
スティーブン・キングの新作「眠れる美女たち」のシーンのようだ。
ここまで眠りとは何だろうと考えながら見てきて、生と死の境目を漂うその正体はつかみ切れていないのだけれど、ただ確実に言えることは私は眠れる人たちの「瞳が開かれるとき」を待っているのだということだ。
目覚めから始まる物語を私は期待している。
眠る人はすべての可能性を否定しないからこそ心惹かれるのかもしれない。