書籍データ
今日の猫は黒くてよくわからない
作家、とは名ばかりで新聞や雑誌に頼まれ記事を小器用に上げることで生計を立てている男。そんな彼のところにあるは不意に、かつての親友の妻から連絡が来る。
幼いころから非凡な才能を示していた親友が身重の妻を残したまま失踪し、おそらくは死亡したというのだ。
妻は夫の遺言めいた約束を守り、彼が書いた小説の原稿を持ってきた。作家の男にその出来を評価し、出版に値するならば、作家を頼って出版してもらうようにとのことであった。果たして親友の小説は素晴らしいものだった。出版したとたん大変な話題となり、大変な印税が妻にもたらされる。
次第に愛し合うようになる親友の妻と作家の男。そこへ一通の不審な手紙が舞い込んでくる…
親友の伝記を書くことになり、その足取りを追うにつれて現実から滑り落ちてゆく男の物語。
面白かった。ザ・ポストモダンって感じだった。
親友の足取りを追い、熱に浮かされたようにさまよう作家の姿がジム・トンプソンのポップ1280を思い起こさせる。と言ったら全然似てないじゃんって言われたけど、似てはないよ。ストーリーも全然違うし。でもあのバットトリップしているような離人感が共通しているんだ。
主人公は凡庸な人間で、かつては親友にあこがれを持っていた。誰よりも賢く、子供のころから「完成された大人」であった親友を敬愛し、自分が一番近しい存在であることに誇りを抱いていた。
しかし大人になり疎遠になってからの彼の足取りを追うと、そのあまりにも無軌道で自分を消してしまうかのような行動に戸惑うこととなる。
誰にも心を開かず、その場に溶け込みながらもすべての人を拒絶して生きている。代書人バートルビーのようだ。
しかし私は親友のことを、エゴの塊のように思う。
自らが周りの平凡な人間よりも価値の高い天才だと思い込み、周りを見下している。
自分の楽しみのためなら、周囲を支配してもいいと思っている。
かといって自分で自分の価値を信じ切ることができない、臆病者である。
周りから認められ始めると不意に姿を消し、まったく違うところへ行こうとするのは、自分が評価されることに耐えられないからだ。あなたの試験結果は90点です、と出されることに耐えられないのだ。もし万が一、尊大な自己評価より低い結果を出されてしまったらという恐怖に立ち向かえないでいるのだ。
だから、彼は逃げ続けているのだ。
きれいごとを言ってはいるけれど、本当は親友は、自分の捨てた、というよりも逃げ出してきた妻と作家がくっついてほしくはなかったのではないかと思う。
妻に対する多少の責任感から、経済的に援助するよう作家を利用したのは確かだろう。そして作家が妻に惹かれることは当然予想していただろう。もしかしたら、そこまで考えて「作家好みの」女を妻にした可能性もある。
けれど本当は、妻に自分だけを想っていてほしかったのではないか。
だから、親友は陰から作家を操ろうとしているのではないだろうか。
少年のころから親友を崇拝していた作家は、ラストシーンで親友の身勝手な願いをかなえることを拒絶する。本人にそういうのではなく、ただ誰にも黙ってその願いをかなえるすべを破棄してしまう。
実にいい気味だと思う。
現実に生きようとしない人は、現実に干渉する資格などないのだ。
親友の後を追うように現実から滑り落ちかけた作家は、ぎりぎりのところで踏みとどまってくれる。そうしてくれて本当に良かったと私は思う。