雪にはすべて負ける 岡本太郎記念館 2/9
あまりに寒かったので、写真がぶれっぶれである。そして気付いたけど、最近こればっかり言っている。お庭もあって色々彫刻が置いてあったのだけれど、寒すぎてパス。
太郎はやっぱり夏だったね。
岡本太郎は言わずと知れた日本の画家で、1911年生まれ1996年没だから、私もテレビに出ているのを見た覚えが何となくある。細かいことは覚えていないが、「芸術は爆発だ!」とか言っていた気がする。そういいながら、キャンパスに絵の具の詰まったボールを投げつけて絵を描いていた人がいた記憶があるが、多分それはインスパイヤ系の別の人だろう。
高度成長期に人気があった人なので割とそこらじゅうに作品がある(渋谷駅とか、有楽町数寄屋橋公園とか)のだが、子どもの頃はあんまり意識したことはなかったように思う。
今では日本人画家の中ではトップクラスで好きな人といってもよい。
岡本太郎記念館は、元々彼が住居兼アトリエとして使っていた建物だそうだ。多分庭のある半分が元の形を保っていて、残り半分が美術館として建て増したところだろう。アトリエ入口の天井が不自然にぼこぼこしているところからそう推察される。って、京都人が言ってた。
アトリエの手前に応接室があって、彼の作品を実際に利用しているかのような部屋になっている。時計や椅子、ティーセットなども彼のデザインしたものだ。
本人そっくりのマネキンも立っていて、いることはわかっていてもちょっと薄暗い部屋で実際に見ると心底ビビる。存在感がありすぎだ。
ちなみに、覗きこもうとあんまり身を乗り出すと、中にはいるなという自動音声が流れる。私じゃないよ。他の人がうっかり鳴らしてたの聞いただけだよ。
「叫び」「ダンス」
太郎感が強い。なんというか、太郎感としか言いようがない。
ダンスの方はとてもかわいらしくて好きだ。叫びの方は、ユーモラスではあるけれども情けない感じがする。ムンクの叫びのような切迫感はないけれど、エネルギーに満ち満ちている分存在感がある。
実際に作品を制作していたアトリエにはびっくりするほどのキャンバスがしまってある。コンクリブロックを積み上げただけの簡素な建物なのだが、保存状態は大丈夫なのだろうか。金銭的価値はいかほどなのだろうか。
これほどたくさん作品があったなら、この記念館の経営なんてガバガバで大丈夫だろうなぁと思う。客が入らなくても、時々作品を売りに出すだけで資金的に困ることなんかないだろうな。
絵を描くのに使っていた刷毛が大量にあるのが興味深い。チマチマ筆で塗っていては、この迫力は出ないのかもしれない。
「座ることを拒む椅子」
「座ることを拒む椅子」
シリーズで顔のついた椅子がたくさんあった。陶器のものとプラスチックのものがある。
売店で缶バッチを売っていて、かわいかったので買ってしまった。顔が無くても座りにくそうだなぁと思う。
「顔のスピーカー」
これはあんまり顔っぽくないね。スピーカーいくつかありました。
岡本太郎が練習するジャズの歌声が流れていて、なかなかうまいなと思った。
同じフロアで現代作家さんの絵が展示されていたけど、まぁひどいなと思ったので割愛。趣味にあわな過ぎた。
「無題」
蛇と鶏のあいの子みたいな謎生物。かわいい。
以下、作品名不明。
何の絵だろうか。レモンやマルメロのような、胎果のような。力強く、まがまがしい果実。
トーテムポールのような彫刻と、アステカの神々のような絵。
こちら、オーディオルームに飾られていました。
岡本太郎の生前の動画がずっと流されていたのだけれど、何だか妙に引き付けられる物があってずっと見てしまった。
何気ない日常や作品制作の様子をずっと写しているのだが、なにぶん昔の映像なので画質が粗く、何をしているのかはっきりしないところも多くてもどかしかった。
数寄屋橋公園の時計を作っているのはわかったよ。
私こうやってブログを書くとき、毎回「焼き物のオブジェは彫刻なのだろうか?」って実はずっと迷っていました。
だって、塑像ってこねあげるものじゃん。刻んでないじゃん。
図工の時間に作ったけど、芯に粘土を巻きつけてぐにぐにと形作るものじゃん。「不要個所をそぎ落とすもの」ではなくて、「必要なものを追加していくもの」じゃん。
ずっとそういうなんか違うなって思いを持っていたのだけれど、岡本太郎の制作風景を見て「ああ、粘土像も彫刻だな」って思えた。粘土の塊からへらを使って完成品を削り出す作業なんだなぁと。
実際に見るって大事だね。
でも、例えばモビールとかも彫刻なの?って言われるとなんか違う気がするから、そのうちカテゴリ名を変えるかもしれない。「オブジェ」かな。でも大理石像をオブジェって呼ぶのもなんか違う気がするな。「立体」ではあいまいすぎるし。いい単語を思いついたら変えます。