人の金で美術館に行きたい+読

美術館に行った話とか猫の話とかします。美術館に呼んでほしい。あと濫読の記録。




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聖クリストフォロスの憂鬱 ベルギー奇想の系譜展

というわけで、ベルギー奇想の系譜展にあるヒエロニムス・ボスの追随者による「聖クリストフォロスの誘惑」について話をしたい。

 f:id:minnagi:20170731142038j:image

この絵をよく見ると、主役と思しき右側で物思いに耽る男性の下に「St. ANTONIVS」、「聖アントニウス」と書かれている。
図録にこの絵自体の解説はほとんどないのだが以下のように書かれている。

この図像の主題は「聖クリストフォロス」とされるが、しばしば「聖アントニウス」と混同された。後のステートである本作では聖人の下に「聖アントニウス」の銘が加えられている。

(ステートとは刷りの段階のこと。同じ図版から何度も刷る場合第Xステートと呼ばれる)

 なぜ聖アントニウスに間違われるのかよくわかる、というか、なぜこの絵が聖クリストフォロスなのか私にはわからない。
この絵には聖クリストフォロスらしさが全く存在しないからだ。

 
聖クリストフォロス、英米文学を読む人にとっては「聖クリストファー」といった方が通りがいいかもしれない。スティーブン・キングの小説で、聖クリストファーのメダルは大型トラックのバックミラーによくぶら下がっているから。
彼については、黄金伝説の3巻に登場する。
本文と訳註を合わせて紹介するとだいたいこんな話だ。

聖クリストポロス、洗礼前はレプロブスまたはレプロボスと呼ばれる男は子供のキリストを肩に乗せ大木を杖にして川を渡る姿で描かれる。
彼の伝説には2つの異説がある。

 

 レプロブスはこの世で一番強いものに仕えると誓いを立てる。
最初は王に仕えるが、王は自分は悪魔にはかなわないという。
そこで悪魔を探して仕えるが、悪魔は自分はキリストにはかなわないという。
そこで悪魔のところを辞したレプロブスはキリストに仕えたいものだと思うが、どうしたら彼に会えるのかわからない。そこで、いつかめぐり逢うだろうと人の行きかう大きな川で川守を始める。渡し人として旅人を担ぎ、杖で自信を支えながら川を渡って通行料を取るのだ。
そんなある日、レプロブスは小さな子供を背負って川を渡ろうとする。軽々と川を渡る彼だが、不思議なことに子供はどんどん重くなり、革の中ほどで動けなくなってしまう。
怪しむ彼に子供は「私がお前の会いたがっていたキリストである」と伝える。キリストを背負うということは世界全体を背負うということなので、それほどの重さとなったのだ。
川を渡りきったレプロブスは信仰に目覚め、クリストフォロス=キリストを背負うものと名乗るようキリストに言われる。また、キリストの命じるまま杖を川辺に指すとそれが大樹となり、それを見た人々はキリスト教に改宗する。
そのうわさが皇帝に伝わり、キリスト禁教にそむいたとして拷問の末首をはねて殺される。

 

別の伝説によると、レプロブスという犬頭人身の人食い族が洗礼をうけてクリストポルスと呼ばれ人語を解するようになったのだという。

 

水夫、いかだ師、巡礼、旅人、運送屋、交通全般、庭師の保護の聖人、転じてトラック運転手の守護聖人となる。7/25のクリストフォロスの聖日には車を司祭に祝福してもらってメダルを受ける習慣がある。運転の雑な人には「クリストポルス様が降りてしまわれる」という警句がある。運/神に見放されるという程度の意味だろう。

 もちろん古い伝説なので異説はたくさんある。
クリストフォロス - Wikipedia
しかしポイントはいくつかある。

  • 子供を担いだ巨躯の川渡しとして描かれる
  • アトリビュートは大きな杖またはそれが変化した木
  • 背負われた子供はしばしば地球儀を添えられ、世界全体と等しいことが示される

当初の絵に立ちかえってみよう。これらのアトリビュートが示されているだろうか?また、絵画はこのストーリーに合っているだろうか?
そして絵画のタイトルを読んでからストーリーを思い起こしてみよう。聖クリストフォロスは伝記中で『誘惑』されただろうか?
正直、今回この絵を見るまで聖クリストフォロスが誘惑されたなんて話は聞いたことが無い。
聖クリストフォロスの定番と言えば、
ヒエロニムス・ボスの「聖クリストフォロス」

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同じくベルギー奇想の系譜展で展示されていたフランドルの逸名の画家による「幼子イエスを運ぶ聖クリストフォロス」はボス風の怪奇趣味を取り入れつつも基本を押さえており、誰が見ても聖クリストフォロスと理解できる絵に仕上がっている。
場面は逸話に従っているし、彼のアトリビュートである杖や幼子キリスト、地球儀もきちんとそろっている。

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なので当初の絵がなぜ聖クリストフォロスの絵なのか、正直私にはわからない。
誘惑される聖人の定番と言えば、サルバトーレ・ダリで有名な「聖アントニウスの誘惑」だから、この絵が聖アントニウスと誤解されたというのも何となくわかる。しかし、聖アントニウスは荒れ野に暮らした聖人である。こんな川辺というか海際は似つかわしくない。アントニウスの絵だとされるも、誘惑されてるから?という程度だし、周囲に魑魅魍魎が跋扈していても聖人はそれも全く目にとめておらず、本当に誘惑されているのかもよくわからない。


細かい確かな筆致で恐ろしくもユーモラスな世界を描いたこの作品は、とても魅力のあるものに仕上がっている。
でも結局この絵は何なのだろうか。気になって仕方ない。