ついに行ってきました。黒田記念館特別室。
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黒田清輝「智・感・情」
右が「智」、中央が「感」左が「情」
こうして遠くで見ると背景の横線が目立つけれど、目の前で見ていると人物描写に圧倒されて背景はほとんど目に入らず平面のように感じます。
率直、知と感がキャラ被ってるというか、情だけなんか異質というか。
知、感がなんの感情もなく達観した、一種菩薩像のような別次元感があるのに対し、今にも身も世もなく泣き崩れそうな情だけが人間味を持っていて見ているこちらの感情を揺さぶってくる。美しさという観点からは知の方が美しくあるけれど、むしろ見たくないほどに迫ってくるのは情の方だ。
「感」ってなんだろうね。「感覚」なのかな。にしては何も寄せ付けない姿ではあるけれど。と思ってちょっと調べてみた。
黒田自身の言葉によれば「当初画家の三派なる理想、印象、写実の意を表わさん」と着想したもので「理想を智、印象を感、写実を情に改めた」のだという。しかも、ここでの「感」はSensやSensationではなくImpressionを意味していたともいわれる。
Impression「印象」でしょうか…よくわかりません…
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黒田清輝「祈祷」
特別室にあった他の絵は、普通に他の展示で見たことあるやつでした。というわけで、あとは通常公開室にあったもの。
しっかりと描かれた洋画。レンブラントにはまっていたころの作品とのこと。
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黒田清輝「編物する女」
かぎ針編み、レースを編む女性。モデルは特別室にあった「読書」と同じマリア・ビヨーでしょう。黒田とは画家とモデルを超えた親しい間柄だったとのこと。
がっしりとした肩幅の女性の、力強い手元を精密に描いています。
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黒田清輝「構図(羊飼ニ天女)」
これは…なんだ?ってなった。
羊飼2天女、ではなく羊飼いに天女。荒れ野で羊の群れを追う疲れ果てた人々のもとに、天使が現れる。キリストの西端を告げる場面を連想するけれど、それにしても羊飼いの様子がひどくないか?まるで原始人の焼死体だ。
タイトルに「構図」とあるからには何かの下絵、構想段階で全体のバランスを見るための物だろう。非常にざっくりとしか描かれていないのもそのためだ。
にしても羊飼いの迫力にはちょっとビビる。
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黒田清輝「昔語り(下絵)」
全体の構図を確認するデッサンと、それぞれの人物の色を決めるためでしょうか、下絵です。下絵とはいえその完成度はものすごいですが。
残念ながら、完成品は戦争で失われてしまったとのこと。残念だ。
なんというか、黒田清輝は日本トップクラスで絵がうまい人だと思うんだけど、そんな人は下絵の段階からこんだけめちゃすごいもの描いているんだなぁってちょっと打ちのめされた。
もういいじゃん?こんだけのものが描けるなら最初から本番行けばいいじゃん?って気持ちと、下絵でこんだけの熱量込めるから本番が恐ろしいことになるんだなって気持ち。結局、各段階で完璧なものを出すことが最終形を完璧にするんだよなぁ。知ってはいるんだけど。
なんかやっていても中途半端なところでよくわかんなくなって完成!とかしちゃう自分とは比較にならない。いや、当然比較もできないんだけど。
もうちょっと人生真面目に何とかしたいなぁと考えてしまった。