書籍データ
- タイトル:聖アントワヌの誘惑
- 作者:フローベール
- 訳者: 渡辺 一夫
- お勧め度:★★★★★
ねむねこ
荒地で独り信仰の道を深める聖アントワヌ。孤独のあまり過去を懐かしむ彼の前に奇々怪界の幻達が現れる。かつての弟子イラリヨンに導かれる彼の前に現れるものとは
すごく面白かった。
形式としては戯曲なのだけれど、ト書きで説明される部分がめくるめく幻惑なので、本当に舞台にすることを想定して書かれたものではないのだろう。こういうの割とよくあるから、流行した形式なのかもしれないね。
聖アントワヌ、一般的な呼び方だと聖アントニウスの誘惑はとても有名な伝説だから、この本を読む人は皆内容を知っている前提であろうと思う。なので読者は自分が知っている話と何がどこまで違うのか、そしてどんな誘惑の描写がされるのかというところを楽しみに読むのだ。
その期待は想像以上に満たされるのだが、元の話を知らなくても楽しめる話だと思う。
読書メーターとかでは途中で挫折したとかよくわかんなかったとかの感想もあるのだが、そういう人は古典の読み方がわかっていないのだと思う。
なので唐突に古典を読むときのコツをここで語っておきたい。
声を大にして言いたいのは、
「わからないものはわからなくていいのだ」
ということだ。
特に羅列描写がある場合、作者はわかることを期待していない。というか、とにかく壮大なものを並べたてることで読者を圧倒することを目的としているのだから、「よくわかんないけどすげえや」って思っておけばよいのである。
「パテルヌス宗徒」と言われたら「どんな教義なんだろう?」と考える必要はなく「そんな宗教もあるんだな」と思っておけばいいし、「シヴァの女王」と言われたら「シヴァってどこ?」と考えるよりも「描写によるとめっちゃ美女だな」と考える方が大事なのだ。
もちろん描写されるものがなんなのかわかっていた方が楽しいことは楽しい。古典は基本的に知識階級に向けて書かれた本(一般庶民は字を読まない)なので非常にハイコンテクストだ。フローベールが古典かっていうと微妙で正式には近代なのだろうけれど、古典として訳されてるし基本的な読み方は同じだ。
知っていることが書かれていたらニヤリとすればいいし、気になったら調べればいい。でもいちいち調べて筋を見失うくらいなら、固有名詞は「そんなものもあるんだね、知らんけど」くらいにとどめておくべきだ。
というわけで改めて、この本はかなり面白かった。描写の細かさ、圧倒的な知識量。そして近代ならではの合理主義が信仰を揺さぶりにくる様。ひたすらに圧倒され、この本ではアントワヌはどのような結末を迎えるのだろうかという期待と不安。
悪魔の誘惑を退け、信仰が勝利したのか、それとも異端に落ち込んだのか。神に対する真の理解を得たのか、理解を放棄してただ全てを受け入れているのか。
悪魔の誘惑は終わったはずなのに超常的だ。非常に美しいと思う。
フローベール、かなり好きです。