自分を見つけること オットー・ネーベル
文化村でオットー・ネーベル展を見てきた
すごくよかった。
オットー・ネーベルという人のことを、私は全く知らない。
Wikipediaを調べても出てこないし、ぐぐってもこの文化村の展示のことしか出てこない。
それもそのはず、今回が日本初の回顧展なのだという。
こういう人を探して紹介する文化村のセンスはすごいなと思う。
なので、彼の生涯についてはこの展示会のサイトくらいしかまとまっているところが無い。
オットー・ネーベル | オットー・ネーベル展 | Bunkamura
1892年に、オットー・ネーベルはドイツのベルリンで生まれている。
技師、俳優、軍人として働いた彼は独学で絵画を描き始める。
その後ナチスからの弾圧を避けてスイスに亡命するも、制作・就業を禁止されて苦しい生活を送ることになります。
最終的にはスイスの市民権を得、ナチスが消えて第二次世界大戦が終わった1965年にはドイツ連邦共和国大功労十字章も受賞。
一応は名誉が回復されたことにはなりますが、終わりよければすべてよしって、そういう問題じゃないよね…
亡命を受け入れておいて就業禁止ってどういうつもりなんだろうね…とっとと帰れってことなのかな…
この時期、多くの芸術家がドイツから亡命しています。
それは戦火を逃れるためやユダヤ人への弾圧の他、ナチスの退廃芸術への弾圧が大きな要因です。
ナチスが指示したのはいわゆるわかりやすい古典絵画風で、ナチスを讃えるようなものだったようです。実際にどんな絵画だったのかはあまりよくわからないんですよね~退廃芸術の方に後世の注目集まっちゃってるから。
ネーベル自体は迫害されてはいないものの、退廃芸術家として烙印を押された親交の深いクレーに同行する形でドイツを脱出しています。
まぁ、退廃認定されるのも時間の問題だろうし、先に逃げたってことでしょうね。
この時代は色々と受難の時期なのだなぁ。
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メインビジュアルがこれなのだが会場に入ると正直戸惑う。入ってすぐの初期に描かれた絵を見ると、このチラシとは全然系統が違うからだ。
率直に言うと、シャガールまんまだ。
最初の数枚の絵を見た段階では「なんだよこれ~全然チラシと違うじゃん詐欺じゃん。これなら来なきゃよかったかも」って思った。
だけど様々な画家に影響される時期を抜け、抽象絵画にオリジナリティを見出した後の作品はとても素晴らしく、ここにきてよかったなぁと最終的に思ったのだ。
シャガールが見たければシャガールを見に行くわけで。
ネーベルらしいネーベルを見てとても気に入ったのです。
けれどこれほどたくさんの芸術家がすでに排出された後で、他の誰でもない「自分らしさ」を表現するのはどれほど難しいのだろうなぁ。
文学も音楽も、もうやりつくして新規のものは出ないと言われてから久しいけれど、さらに新しいものを作り出す人はすごいなと思う。
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「黄色がひらひら」1939年
落ち葉の色の盛り上がりが面白い作品。
写真を撮ってアップする時、どっちが上だっけ?って迷ったw
細かな点で書かれていて、まるでモザイクタイルみたいです。
何となく見ていて楽しくなる。
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「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」より「ボンペイ」1931年
出世作といってもいい、カラーアトラス。
イタリア各都市の街の印象を、色だけで表現しています。面白いなぁ。
実際、町特有の色彩というのはあるし、こういう表現の仕方すごくいい。写生よりもその時の気持ちや感じたことを明確に表しているかもしれない。
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「高い壁龕」1930年
樹脂絵の具だという。アクリルだろうか?
壁や柱の隙間から、聖堂の十字架が見えている。ステンドグラスはきっちりと分割されてタイルを張り付けでもしたかのような質感だ。
この聖堂を描いた作品はいくつかあって、赤いのが一番いいなぁと思ったのだけれどポストカードが無かった。どれが好きか見てみるといい。
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「ムサルターヤの町 Ⅳ 景観B」1937年
この人の絵は赤系がいい。
とても細かい筆致で描かれているため、まるで不織布のような質感を持っている。触ってみたい。
苦しい時代に製作された、彼の想像の都市の景観だ。中東風のとてもしっかりとしたつくりの街だが、それがなんだかさみしそうだと思ってしまうのはその背景を知っているからだろうか。
夕焼け色も相まって物悲しい。
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「近東シリーズよりミコノス」1962年
中東シリーズって言うけれどなんかギリシャ神話っぽいなぁと思ったら、ミコノス島はギリシャ海にあるんですね。
白の絶景「ミコノス島」の観光スポット9選♡ | TABIPPO.NET [タビッポ]
なんかイメージあってる。海と、町と、船とトライデント。月明かりの下で外にいる人は少ない。すごくわくわくする感じがある。
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パウル・クレー「恥辱」1933年
クレーが好きだから1個出しておこう。
この作品については、かなりしっかりした解説があった。
矢印が、世間から向けられる恥辱であること。
中央に立つ人物が手を垂直にあげていること。
それは、恥辱に対して立ち向かう姿勢であること。
水平線の意味も、きっちりと書かれていた。
それって、どうなんだろう?
それは、クレーが明示したのだろうか?どこかに本人が書いたのだろうか。出典はなかったと思う。
たとえ本人の言葉だとしても、それが唯一の正解であるかのように書くのはどうなのだろうか。ただ一つだけの見方が正しいかのような書き方はどうなのだろうか。
想像の余地がなくなってしまうのは、絵画との向き合い方として正しいのだろうか。
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オットー・ネーベルだけでなく、それを取り巻く人々、影響を与えた人々の作品も飾られている。特に盟友ともいうべきクレーの絵は結構多い。
すごくお得な気分になる展覧会だった。とっても気にいった。