キングオブ王道 フィリップス・コレクション 10/27
三菱一号館美術館のフィリップス・コレクション展に行ったよ。
毎度ここはとてもセンスがいいです。建物が19世紀末の歴史建造物なので、コレクションも企画展もそれに合わせた展示を行っています。誰が見ても素直に美しいと思うような、そして割合誰でも知っているような有名作家の作品を扱うことが多いです。
コンセプトがしっかりしている。
今回のフィリップス・コレクションもそう。
コレクション主であるダンカン・フィリップスさんは鉄鋼王の孫としてビック・エイジのアメリカに生まれるというザ・セレブリティな人。京大で美術評論家をやり、おまけに妻が画家と来たら知識も審美眼も一流だ。やっぱさぁ…こういう素養って実家が太いとアドバンテージあるよね…
そんなわけで勢いのあるセレブが集めたモダン・アート(彼曰く、同時代絵画)が中心なのでかなりゴージャス。そして、最初から美術館を作る目的で集めているのでわかりやすいです。
絵画の作風の流れや、この画家の特長的な作風はこれだ、とか。
例えばモネ。ふつーに何も考えずモネの絵を上げろと言われたら、睡蓮の池やルーアン大聖堂なんかの有名どころをあげてしまうと思うのですが、フィリップス・コレクションにあるのは崖の絵。「ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝)」
作品紹介|フィリップス・コレクション展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)
光の表現が確かに見事な「印象派のモネ」としてお手本のような絵です。
こういう判断力に優れた人だったんだなと思う。
ジョン・コンスタブル「スタウア河畔にて」1834-37年ごろ
19世紀末にこの表現!フィリップス自身も、「時代を50年は先取りしていた」「この画家の導き無くして、のちのモネやファン・ゴッホを想像することは難しい」と言っています。
ぱっと見現代美術みたいな何描いてるんだろう?という絵なのですが、前に立つと何の違和感もなく牛や羊たちがくつろいでいる様が見えてくる。水面の輝きと言ったら信じられないほど美しくリアルです。
一番輝いている絵だった。
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ジャック・ヴィヨン「機械工場」1913年
キュビズムの先駆けという感じで紹介されていたけれど、それを飛び越えてフォーヴ、むしろコンポジションのようなリズムを感じる。
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ピエール・ボナール「棕櫚の木」1926年
めっちゃ思わせぶりな絵。
棕櫚の葉=殉教者の印で区切られた向こう側の世界は天国なのだろうか。「楽園へ導こうとするマルト」が手にしているのは林檎=罪の果実だろうか。だとしたらその手を取ってたどりつくのは、本当に楽園なのだろうか。
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ジョルジュ・ブラック「フィロデンドロン」1952年
フィロデンドロンってなんだろ?て思ったら、絵に描かれてる観葉植物の名前なんですね。トップクラスで好きな絵。
窓のカーテンが刻む繰り返しのリズム。暗い画面の中鮮やかに浮かび上がるテーブルとイス。全てがビンの中に注ぎ込まれる。
これ結構大きく縦長な絵で、近くに立つと一度に全画面を見ることはできないんですね。それで上から下まで見上げて見降ろしていて思ったのだけれど、ブラックのキュビズムって写実ですね。
天井を見たときの視点とテーブルを見たときの視点は、当たり前だけれど違うんですよ。それを一つの視点に統合するのは、絵画的な嘘になってしまうわけで。
アントニオ・ロペスはそれを自分に許容できずに画面を分断してしまうけれど、キュビズムを使えば視点移動をうまく絵画の中に落としこめる。
絵の前に立って上から下まで視線を動かしていけば、そういう不思議なリアリズムを体感できます。
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パウル・クレー「画帖」1937年
こっわw
クレーって言うとなんかほっこり~なイメージあるけど、これ怖い。めっちゃプリミティブだし。宇宙人みたいだし。シーラカンスっぽいし。
ワシリー・カンディンスキー「連続」1935年
かわいい。エビちゃんがダンスをしている。楽譜のような、誰かに宛てた手紙のような絵。
この人はいろんなタイプの絵を描くね。雰囲気で描いてるのではなく、色々と理屈を考えて描いていそうな気がする。もしかしたらちゃんとに文法や意味があって、ルールさえ知ればすらすら読めるのかも知れない。
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ジョルジュ・モランディ「静物」1953年
隠された壺。
モランディは静謐でなかなか美しい絵を描く人だという認識なのだけど、たまに見かけるのが全てこういった箱と壺のナチュラルトーンの静物画なので、実はまとめてみたことがない。美術展に行って全部類似絵だったら流石にちょっと損した気になりそうで。貧乏性だから。
けどこうして一枚みると、素直にいいなぁと思う。古典絵画だったら前面に出して「俺様は陶器の質感を描き分けできまっす!」ってアピールポイントになる壺が、箱?本?の奥に隠れているのが面白い。なんで隠れてるんだろうとか、隠れたところはどうなっているのだろうかとか、広がりを想像させる。その隣にひっそりといる深い色のカップについても。
今回は本当に豪華な展示だった。「全員巨匠」というキャッチコピーに偽りなしだし、その画家の代表作ではなくとも個性が見事に現れた絵が来ている。逆に代表作って、ゴッホのひまわりやモネの睡蓮とか、本人気に入って何度も描いてるからあちこちにあるし、描き方も最適化されて棘がなかったりする。フィリップスは、成金趣味じゃなくて本質を見て絵画を選んでたんだろうなぁって思いました。
楽しかった。
常設展 10/14
東京国立博物館の常設展の話を簡単に。
隠れキリシタンの特集展示がやってた
銅牌 無原罪の聖母
銅牌 ピエタ
真鍮踏み絵 キリスト像
うーむ、だいぶすり減っておる。
中国製とのことだけれど、別にマリアのアトリビュートがあるようには見えないのよね。(見えちゃ困るんだろうけれど)
中国でもマリアとして作られたのか、何でもない普通の観音像の中に聖母マリアを見たのか、気になる。
ここは博物館だから、美術的にどうこうって感じではないね。
鈴木 長吉「鷲置物」
東京国立近代美術館工芸館でみたやつだ!やっぱり凄いなぁ。
と久々に公式サイト見たら石川県に移転って書いてある。マジで?あんまり行かないところだけど、マジで??
樋口 治実「含珠珈琲具」
蛍焼きだ~!私蛍焼き好きなんですよね。と言って通じた試しが無い。
蛍手(ほたるで) って言い方の方が一般的なんですかね。透かし彫りをした陶器に透明の釉薬をかけて焼いたものです。穴の中にガラス質が入り込み、光を透かす美しい模様となります。中華茶碗とかによくある。
かわいい。
石川 光明「野猪」
木彫りのイノシシ。毛並みの豊かさや表情、くつろいだポーズが非常にかわいらしい。
そして作品名も「やちょ」とかわいらしい。なんの言うこともない。超プリチー。
熊毛植二枚銅具足
ウサ耳大名。かわいい。これを見るたびに、なんで戦国武将にウサ耳が…???となる。当時は勇猛な感じだったのかしらね。プリチー。
鼈甲盃
べっ甲を削り出して蒔絵を施した盃。めっちゃゴージャス。透明感が美しい。
欲しいなぁ。
東京国立博物館は信じらんないほどでかいので、一周するだけで結構疲れます。
表慶館が見たかったのですが、警備員さんがいて見れませんでした。展示準備中なのかな?と思ったら、カルティエのイベントというか高級ラインの受注会とかやってるみたいですね…別世界。
年間スケジュール見てもずっと閉館中みたい。建物の中が見たいんだけどなぁ。単純にこの時代の建築が好きなんですよ。いつあくんだろう。
デュシャンの最後はP マルセル・デュシャンと日本美術 10/14
芸術の秋ですね。秋じゃなくても遊ぶけどね。 デュシャンを見に行ってきたよ。
マルセル・デュシャンと日本美術 | 東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展
美術館じゃなくて博物館なの、なんでだろうね。
一部作品(マン・レイの写真と動画)以外撮影可能です。
マルセル・デュシャンは20世紀初頭のフランス生まれでアメリカに帰化した芸術家だ。絵も描くけど、画家というより総合芸術家、「現代芸術家」だと思う。
ダダイズム・レディメイドそしてインスタレーションと言った彼の作品は、たとえ100年前に製作されたとはいえ完璧に「現代アート」の要件を満たしている。
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自転車の車輪(1913/1964)
入ってすぐがこれ。デュシャンの写真が実にいい感じ。
「これ、絶対タイヤ回すべきなんですよ。回してこその作品だと思うんですよ。そもそも既存芸術の概念を打ち破ったデュシャンの展示で、『作品には手を触れないでください』みたいな既存概念にとらわれていちゃいけないと思うんですよ。
でも私が回したらつまみだされるから、誰か回してくれないかなぁ」
っていったら京都人に「落ち着こうか」って言われた。
回したい。
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ブランヴィルの庭と礼拝堂(1902)
15歳くらいの作品。すごく綺麗。既に絵がうまい。
彼の生家の写真とかも展示されているのだが、完全にアッパーミドル。お金持ちのボンボン。ついでに言うとハンサムである。
と言ってたらハンサムって言いすぎだと京都人に言われたけれど、作品と本人の評価って切り離せないと思うんだよね。
例えばシャセリオーが当時ブサイク扱いされていなかったら、あんな耽美的優雅な作風を選んだだろうかって考えるのは、意味のあることだと思う。
ハンサム。
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芸術家の父親の肖像(1910)
これも少年の頃の作品。セザンヌ風。
瑞々しい色がきれいです。時々絵画学校に通って銅板画などを習ったということで、系統立てて学んだわけではないのかな?
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チョコレート磨砕器 No.2(1914)
デュシャンらしさが出てきた。このチョコレートを砕く機械、前年にもっと写実的な油彩も製作しているのですが、こっちの方が断然すき。
裁縫用の糸を縫いつけてローラーを表したそうで、この盛り上がりの線はパレットナイフとかで作ったものではないらしい。機械の足とか見るとよくわかる。
いいデザインだなと思う。
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泉(1917/1950)
言わずと知れた「泉」美術の教科書で見たやつだ。
サインがR.MUTTとあるけど学校では習わなかったな。NYのモダンアートフォーラム[独立芸術家協会」の支援を援助したが、その精神が民主的で多様性を受け入れるものかを試すために偽名で出した作品だそうです。思惑通り(?)規約違反とされて抗議し、ひと悶着あったそうで。
狙ってやってるだろうなぁって言う感じ。
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秘めた音で(1916)
アレンズバーグ(パトロン)に、麻紐の中心に何かわからないようにものを入れて欲しいと依頼し、それを金属板ではさんで作成。振ると音がするそうだ。
だ!か!ら!!そういうのは振ろうよ。振った動画、せめて音声を流そうよ。それで完成するものだろうよ。
にしても、この作者自身ですら知りえぬ未知の何かって、すっごくダリっぽい。もちろんダリの方が後追いなんだけど、言動がすごくそれっぽい。
サルバトーレ・ダリはデュシャンを意識していたのかなぁ。次の作品のボックスとかもすごく似通った意識を感じるのだけれど。
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マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの中の箱)(1966)
これ、欲しい。素直に欲しい。売ってたら普通に買う。レプリカなんだから、現代だって作れるはずだ。作ってくれ。買う。
もう最高じゃないですか~いい作品のミニチュアがいっぱい入ってる。めっちゃほしい以外の感想が無い。
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第3回フランス・チェス選手権のポスター(1925)
一時芸術を離れて、チェスに打ち込んでいたそう。「普通のポスターも描けるんだな」っておもった。
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階段を降りる裸体No.2(1937)
キュビズム。なんだけど、これが当時はキュビズムグループから拒絶されてスキャンダルになったって言うのを読んでびっくりした。
・大胆な動きの変化に抵抗があった
・裸体が階段を下りて行くという主題
・大きなブロック体のタイトルが非常識
それで?そんなことで?キュビズムって、既存の2次元絵画からの脱却を目指して3次元表現を取り入れた先進的なグループじゃないの?正直ちょっぴり幻滅したよね、キュビズムに。
キュビズムが3次元を2次元に落としこんだものなら、それにさらに時間の経過を組み込んだこれは4次元の絵画なのかなと思う。
とはいえシックで(現代の視点から見ると)典型的なキュビズム風絵画に見えるのになぁ。そんなに嫌だったのか。不思議。
この作品の騒動を機に絵画から離れてしまうというのも勿体ないなと思う。
「遺作」という作品がすごくよかった。作品自体は来ていなくて紹介動画が流されていたのだけれど、目を離せなくなるような作品だった。
すごいアダルティーだし、子供が見たら性癖歪むような気もするけど。
ただ、この後第二部で「デュシャンの向こうに日本が見える」って展示があったのは完全に意味不明だった。
シンプルな茶器や竹を切り取った花入れを「レディメイド」と言い張ったり。侘び寂びとは全然文脈違うじゃん。
歌舞伎役者の浮世絵の強調表現を「デュシャンもただ美化して描くのを拒みました」ってこじつけ感すごい。
絵巻物の異時同図法を「階段を下りる裸体」と合わせているけど、絵巻物は随時見て行くもので別に異時は同図にあるけど同時に見るものではないし。そもそも日本独自のものです!的な説明だったけど、西洋中世絵画に普通に見れるものだし。
なんで無理やり日本をこじつけで持ってきたのかわかんなかった。
ぐにゃ~~んとしたにゃ~~んこ ピエール・ボナール展 10/8
国立新美術館にボナールを見に行ってきた。
チケットはこちら。
なぜこれにしたw
サブタイトルの「視神経の冒険」ってどういう意味だw本当に全く悪意がないと俺の目を見ていい切れるのかwww
ボナールは19世紀末のフランスの画家。見る限り、結構なボンボン。ナビ派としてのスタートです。
この人も、ヘタウマだなぁって感じ。完成品が写実でない人(ピカソとか)も、デッサンや下書きは写実的な意味でうまかったりするんだけど、この人は全部こんな感じだから。
と話してたら同僚に「じゃなんで画家になれたの?」と割と失礼な質問をされたけど、時代じゃないかな。
印象派が確立してそれまでのアカデミー一辺倒から絵画は自由でいいんだ!っていろんな冒険が行われた時代。ジャポニスムが確立して、平面的絵画がうけた時代。100年前なら画家として認められたとは思えないよね。
時代の空気を閉じ込めたような絵を描く人。
庭の女性たち
これなんかもうジャポニスムの極致といった感じです。
縦長の構図、平面的な塗り、記号化された植物、立体感を無視してただ張り付けたかのような服の柄。
「日本かぶれのナビ」と言われたのもわかります。
白い猫
衝撃のあまり、チケットと同じ柄なのにポストカードも買ってしまった。
最初チケット見た時何かの絵の部分なのかなと思ったのですが、これで完結なのです。
最初から猫を描こうと思って描かれた猫。なぜこうなる。首どこに行った。妙に目つきが色っぽいのがまた困惑を呼ぶ。
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) ちょっと通りますよ・・・
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U .U
京都人は↑ちょっと通りますよだという。その通りだ。
ちなみに全部数えましたが、描かれた動物は猫12 犬30で犬が圧勝でした。
黒いストッキングの少女
この絵がすごくいい。
少女時代の自己完結した感じ、一人でくつろいでいるところを覗きこんだ感じ、鑑賞者など視界にも入らない彼女のよそよそしい拒絶、自分の殻。
そういうのがある。色もとてもよい。
この人は色彩感覚と構図がすごくいいのだけれど、細かい描き込みが苦手なのかなと思う。この系統のをいくつも見たかった。
「バラ色のローブを着た女」
という絵が一番気に入ったけれどポストカードがなかった。ハッと引き付けられるような鮮やかな紅色の絵だ。
こちらのサイトで見れる→画像:名古屋でフランス美術を鑑賞 ヤマザキマザック美術館 [美術館] All About
猫と女性 あるいは 餌をねだる猫
こちらも不安定な猫。モデルとなった女性はボナールの妻となるマルト。 神経症を患っていたとか、他の女に浮気しようとしたら怒ったから結婚したとか書いてあった。
でも、1893年に知り合って1925年に結婚。女性一人で生きられない時代に30年以上も内縁の妻として不安定な立場にいたら、そりゃ神経症にもなるだろうよって正直思った。
マルトの顔は暗くぼんやりしているけれど、全体は明るい絵。いきいきとした猫、魚、手前はたぶん葡萄。
テーブルをはさむ構図は鑑賞者が絵の中にいるような、親密さを表現するというけれど、それでも届きそうで届かない冷たい膜のようなものがある気がする。
皿と果物(桃を盛った鉢)
ちょっとセザンヌっぽい。好き。
花瓶
今までとは変わって明るい静物画。背景も花瓶も同じ密度で描かれ、溶けて渾然一体となっている。いい色だと思う。
ボナールは好きなんだけれど、今回の展示はあれ~って思うところが多かった。なんというか、あんまり魅力的に感じなかったのだ。率直に言うと。
パンフレットと実際に飾られている絵が違うものがいくつもあって、それ自体はよくあることなのだけれど、他のブロックにあったものが別のブロックに移動しているものもあった。その絵をどういう文脈で、その画家のどの時代・どの手法に分類するかということまで変えるっていうのはあまりない。
美術館の人も、その絵をどう捉えるかということで悩んだのかなと思う。
おみやげかわいかったし、結構美味しかった。
物の価値は持ち主が決める アンティークフェア2 10/7
アンティークフェアでもう一つ買ったのはこちら。
ポットは相当迷って買ったのに対して、こちらはちらっと見て割と即決で購入です。
だって、この色すごくいい。多分手彩色なんじゃないかな。
イギリス製、おそらく、1950〜60年代ごろの品とのこと。
ホーロー 製のマグはよく見ますが、カップアンドソーサは珍しいですね。といいつつ、お店にはたくさん並んでました。
裏は真っ赤。特にブランド名の記載はありません。
状態は良いと思いますが、元の品質があんまり良くない感じ。
あちこちホーロー 禿げてたり、焦げ付いてたり、塗りムラがあったり。
年代やメーカーが店員さんに聞いても曖昧なのは、珍しくて不明というよりそれほど貴重なものではないのでちゃんと把握してないって印象。
お値段もこの程度なので、客観的価値はこんなもんです。ええ、私のコレクションなんてこの程度のレベルのものです。
こういうちゃんとしたお店に、市場価値的な意味での掘り出し物はないよ。お店が買い付けに行くような蚤の市とかには探せばあるだろけど、素人が手に入るとかにはないって。
でも一目見て気に入ったんだから、私にとってこれは激安お値打ち品です。