お金持ちコレクション ビュールレ・コレクション 5/7
最終日に駆け込みで、ビュールレ・コレクションを見てきた。
こちら、公式サイト。
だけど正直こっちを見たほうがいい。
全64作品紹介ってどういうことやねん!主催者にしても豪華すぎるだろう!!
今回の展示はビュールレさんというドイツ人が個人的に集めた、印象派をメインとしたコレクションです。
ただ印象派を集めただけでなく、芸術的文脈を踏まえて前後の時代を集めていることや名だたる巨匠たちの、それも最高傑作と呼ばれるものも含めて集めていることで、非常に価値の高いコレクションになっています。
て言うか見たらすごい。
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1枚だけ撮影可能。
クロード・モネ「睡蓮の池、緑の反映」
モネの絶頂期が過ぎ、印象派から抽象画へと時代が移り変わって忘れ去られようとしていた時期。
今ではモネといえば当然巨匠ですし、画業の初期は苦労していましたが一時は大人気画家であったはずです。
それでも印象派が時代の最先端で無くなり、新しくフォービズムや抽象画と言ったより刺激的なジャンルが目立ち始めるにつれ、印象派は時代遅れという見方をされてしまうわけで。
何でもそうですよね。映画でも服でも、10年くらい前のものが一番やぼったくてダサイ扱い。もっと古くなってくると、レトロで良いとされてその中から傑作を拾い上げて再評価されたりする。
そんなわけでこの睡蓮は描き上げたものの大きくて受け入れ先が見つかりづらかったという背景があるようです。そこをビュールレさんがゲットしたと。
水面に浮かぶ睡蓮と、水に映り込む柳の葉と。同じ密度で描かれながらはっきりと面が交わっていて、浮かび上がるようなその効果がとても面白い絵だと思います。
ところで、今回はポストカードいいのがあったので何枚も買いました。
でも家帰って気づいたら、全部「部分」って書いてあるんだよね。
というわけでこちらがポストカード、「睡蓮の池、緑の反映」部分
色みの違いは、私がポストカードとって補正ミスっただけだから無視してください。(彩度が下がるとより水面が浮かび上がるようで面白いなと思う)
ぱっと見ではどこが欠けてるのかよくわからないんだけれど、よーく見ると右下の部分が欠けています。
中央右端の花が、本物は2つだけれどポストカードでは1つだし、右下の花の下の葉まではポストカードに収まっていない。
余白が無いデザインのポストカードだから、規格サイズの紙に押し込めたら画版サイズとは合わないんだね。
気になるほどではないともいえるけど、素直に余白を入れて欲しいな。
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ウジェーヌ・ドラクロワ「モロッコのスルタン」(部分)
東京新聞:全64作品紹介 至上の印象派展(32) ウジェーヌ・ドラクロワ「モロッコのスルタン」:至上の印象派展 ビュールレ・コレクション:イベント情報(TOKYO Web)
ドラクロワは国の外交プロジェクトお抱えの画家として、実際にモロッコに行ってスルタンに謁見したそうです。その時の思い出を基に30年後に描かれた絵がこちら。
堂々と、シンプルながら威厳に満ちた王が鮮やかに描かれています。
この絵を見たら国立西洋美術館常設展のルノワールを思い出す。
ピエール=オーギュスト・ルノワール | アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム) | 収蔵作品 | 国立西洋美術館
20年くらい差のある絵だけど、エキゾチシズムだね。
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ピエール・オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」(部分)
東京新聞:「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」 ピエール=オーギュスト・ルノワール:至上の印象派展 ビュールレ・コレクション:イベント情報(TOKYO Web)
趣味に走らず、丁寧に描いている頃のルノワールw
かわいいよね。かわいい。すごく有名な絵だから、あれこれ解説することはないです。ただかわいい。あと、髪のリボンが魚っぽい。
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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「コンフェッティ」(部分)
東京新聞:全64作品紹介 至上の印象派展(10) アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「コンフェッティ」:至上の印象派展 ビュールレ・コレクション:イベント情報(TOKYO Web)
コンフェッティというのはパーティ用の紙吹雪のこと。この製品が出る前までは、紙吹雪は紙ではなく石膏片を用いられていたそうです。軽くて安全なこの紙吹雪は大人気になったのだとか。
ポスターの下絵であるこの作品、赤毛のいかにもロートレックといった女性が描かれています。うきうきする楽しい絵です。
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エドゥアール・マネ「燕」(部分)
東京新聞:全64作品紹介 至上の印象派展(58) エドゥアール・マネ「燕」:至上の印象派展 ビュールレ・コレクション:イベント情報(TOKYO Web)
マネ何作かあった。草上の昼食やオランピアというような割ときっちり描いた絵の方がイメージあるけど、こんな感じでざっくり描かれたものが多かったのは印象派趣味のコレクターのせいかな。
タイトルである「燕」は黒一色で小さく、背景に溶け込んでその姿もざっくりとしかとらえられていない。左奥の草の色、深みがとてもいいと思う。初夏の候外の気持ちの良い空気を思い起こされる絵。
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アントーニオ・カナール(カナレット)「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツア」
これは印象派じゃないけど。
プレ印象派、ポスト印象派という作品もいくつかありました。
印象、日の出や大聖堂といった風景画が多かった初期印象派の流れへの前章としての風景画といった位置付のようです。
強い日差しの中どこまでも細かく正確に、キッチリパッキリ描かれた絵。こういう強いコントラストのハイパーリアルとも言うべき絵が結構好きです。
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ポール・セザンヌ「赤いチョッキの少年」(部分)
東京新聞:「赤いチョッキの少年」 ポール・セザンヌ:至上の印象派展 ビュールレ・コレクション:イベント情報(TOKYO Web)
腕が長すぎることがやたら強調されていた絵。「対象の正確な再現より構図の美しさを優先」と解説されてたけど、ポストカードになったら構図変わってんじゃん!カットするから!!
デッサンなんて多少狂っていてもいいんですよ。画風に合っているかどうかですよ。こういう作風なら勢いの方が大事なんですよ。何でもかんでもデッサンデッサン言うやつは、正確な再現以外に絵画をみる尺度をもたないやつなんですよ。
実際の絵を見ると、とても瑞々しい絵なのに驚きます。これも有名だから教科書とかで見たことはあるのだけれど、こんなにフレッシュな輝きがある絵だとは思っていなかった。好き。
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エドガー・ドガ「控え室の踊り子たち」
ドガいっぱいあった。
とくにスゲー!っておもったのはこれ
東京新聞:全64作品紹介 至上の印象派展(17) エドガー・ドガ「14歳の小さな踊り子」:至上の印象派展 ビュールレ・コレクション:イベント情報(TOKYO Web)
教科書で見たよこれ。
最初の展示にはこれのワックス原型が提出され、本物のドレスや人毛を付けて展示されたそうです。結構アヴァンギャルドだな。
この絵画は幕間の一瞬をざっととらえたものでそれほどいい絵というわけではないけれど、オレンジ色が夕焼けのようでいい色。
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カードなかったやつでいいと思ったのは
東京新聞:全64作品紹介 至上の印象派展(26) ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル「アングル夫人の肖像」:至上の印象派展 ビュールレ・コレクション:イベント情報(TOKYO Web)
アングルの絵。アングルといえば美しさをひたすら追求した古典的なもの。筆の跡を消し、徹底的に精緻に細密に、しかし性格差よりも理想を追求し、人間的というよりは彫刻のような冷たい美しさが特徴。
そのアングルが、こんな人間的な穏やかな絵を描くだなんて。
愛なのかしら、やっぱり。
紹介だけ フジフィルムスクエア 5/7
フジフィルムスクエアに行ってきたよ。
吉永陽一さんの鉄道写真。主にドローンで空撮しているとのこと。
あちこちで色々な路線や駅を撮影している。タイトルは無くて、ただ撮影スポットだけが記されたパンフレットをもらう。
これは江ノ電の鎌倉。
確かによく見れば映っている写真は江ノ電だけれど。
地元に近いので何度か通ったことがある場所のはずですが、支店が違うとわからないものですね。
こちらは工事中の渋谷駅。
渋谷でドローンって許可いるのかな。
この辺は今線路掛け替え工事や再開発で大変な騒ぎです。写っている黄色い電車、銀座線をGWに2日止めて作業したりね。
いっぱいとっておいたら面白いんだろうなぁ。
撮影された人が在廊していたのですが、ナチュラルに女装していたのでナチュラルにスルーしました。作品に関係ないし。
ちょっと内容薄くてさみしいので、もう一個。
松島寛さんのキューバの写真
タイトルはあるようなないような、写真下に簡単な説明がついています。
建物とぬれた路面のコントラストがきれい。
日差しが強くてパキッとしてるし、南国は建物の色がいいね。
というわけで簡単に紹介でおしまい。
特に語ることはない。
お宝続々 国立西洋美術館 4/21
国立西洋美術館の常設展コーナーは相当広くて、企画展の後ゆっくり見るのは時間的に厳しい時もあるのだけれど。
しばらく見てないと展示替えがあったり新規収蔵作品があったりと面白いです。
つわけで、今回は新規収蔵と書かれていたものをいくつか。
スケッジャ(ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョワンニ・グイーディ)「スザンナ伝」
左から右へと時間が流れていく絵。日本画にもよくある手法ですね。
美しい人妻スザンナは2人の長老に不倫を求められ、断ると姦淫の罪を犯したと偽証されてしまいます。しかし彼女の起点であっさり偽証が露呈し、長老達は死刑になる、というストーリー。旧約聖書です。
中世風の衣装と細密な描写が華やかで美しいです。
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テオドール・シャセリオー「アクタイオンに驚くディアナ」
こちらはギリシャ神話。月の女神、処女神ディアナの水浴を狩りの途中にうっかり覗いてしまったアクタイオンは、鹿に姿を変えられて自分の猟犬に食い殺されてしまいます。
このストーリーすごい理不尽感あって、ギリシャ神話っぽくていい。色々異説もあるけど、わざとじゃないってとこが。
絵画的には裸体を描く口実に使われてるところがある。暗く不穏な森の中で見せるその背中は確かに美しい。
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ベルト・モリゾ「黒いドレスの女性(観劇の前)」
女性画家ベルト・モリゾが自分の持っている服をモデルに着せて描いたもの。さらっと描いた荒い筆致、びっくりしたような決して美人ではないが堂々とした顔。当代風でいい。
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レオン・ボナ「ド・ラ・パヌーズ子爵婦人の肖像」
優しそうなおばあちゃんの肖像画。特に語ることはないです。アクセサリーが精緻。
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エドガー・ドガ「舞台袖の3人の踊り子」
パステル画の時と同様に走る筆、未完成に思えるほど荒いけれど正確で存在感のある絵。不思議な色使い。普通こんな風に背景塗らないよなぁ。好きです。
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ラファエル・コラン「楽」
ラファエル・コラン「詩」
楽、と日本語タイトルにあるけど英語ではmusicとあります。音楽の楽ね。詩はpoetryだって。
とても大きい絵です。高さが2mくらいある。
泉の傍で音楽に耳をすます女性が、野で詩を口ずさむ女性が、ぼんやりと霞みがかったハッチングで描かれている。夢の中のような世界。ぼんやりと見ていたらこちらが溶け出してしまいそう。
というわけで4/21の話がやっと終わった。なんか職場がストレスフルだったり変に用事が詰まってたりで全然読み書きをする気力がない。なんとかしないと。
結局は人間関係 マーグ画廊と20世紀の画家たち 4/21
国立西洋美術館の常設展の中には小さな展示スペースがあって、企画展と常設展の間のミニ展示をやっている。所蔵品で構成されたこの展示はもちろん撮影可能だ。
マーグ画廊と20世紀の画家たち展を見た。
マーグ画廊って何なのよ、てのはぶれてて申し訳ないけれどこちらの解説で。
19世紀末~20世紀のフランスって言うのはポスターや雑誌といった印刷物であふれていた。
そしてその印刷って言うのはほとんどがリトグラフで、画家とリトグラフの刷り職人というのは密接な関係を持っていた。画家が、刷り職人を指定することもあったそうだ。
そういった人間関係や画家とのつながり、人脈があった上で開かれた画廊なんだね。
今回展示される画家との関係もこのように解説されている。
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ジョアン・ミロ「表紙(デリエール・ル・ミロワール誌)」
ポスターに使用されていた絵だね。
ミロらしい円、なぞの生き物、そして赤。抽象絵画の中でミロは結構好きな部類です。
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ジョアン・ミロ「鏡面の横断」
筆のあとがそのまま残っているような絵画は珍しいかな。ドリッピングとか、ダリっぽいね。ダリの真似って言うんじゃなくて、この時代流行っていたのかな?
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マルク・シャガール「ベルシー河岸」
シャガールは初期の油絵とかふんわりしたのは好きなんだけど、後期のやつはちょっと怖い。圧がやばい。赤いヤギとかさぁ、怖いよね。
この絵は比較的おとなしい方だけどやっぱりぐりぐり塗りこめられた色がぐいぐい来る。
この夜の青が好き。
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アンリ・マティス「表紙(デリエール・ル・ミロワール誌)」
すっきりしたマティス。これで完成!って言えるのなかなか勇気ある。
最小限の要素で完結させるって難しいし、自信がないとゴテゴテ描き続けてしまうと思う。
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ワシリー・カンディンスキー「小さな世界」
カンディンスキーいっぱいあったけど、全部同じタイトルw
一番好きな小さな世界がこれ。ちっちゃくて、キッチュで、元気いっぱいな感じ。
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ピエール・ボナール「ラ・ルヴュ・ブランシュ誌のためのポスター」
後ろにめちゃ印刷物が並んでるのが、この時代って感じ。ドレスすごくいいよね。
右側にあるコウモリ傘?みたいのなんだろう。
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ゲール・ヴァン・ヴァルテ「表紙(デリエール・ル・ミロワール誌)」
これ好きです。太いクレヨンでギュギュって描いた見たいな絵。何の絵だかわかんないけど、好き。船かな?ヤギっぽくもあるな。
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ジョルジュ・ブラック「コンポジション)コップのある静物)」
ジョルジュ・ブラック展楽しみですね。
ピカソと一緒にキュビズムをはじめたのに、なぜかイマイチ知名度のない人。
静物画ということになっているけれど、電柱の立ち並ぶ夜の街みたいに見えて好き。
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ジョルジュ・ブラック「葉、色、光」
ちょっと映りこみ激しいけれど、カラー作品珍しいねってくらいで紹介。手ぬぐい見たいな柄。
小品ばかりではあるけれど、普段新館の最後のほうにおいてあるミロの絵画がこっちに飾られていてかわいい。画家と元刷り職人である画廊主との関係が見えるのも、時代を思い起こさせていいなぁと思った。
でも結局、仕事を成功させるのは人間関係、コミュ力なんだなぁ、せちがらいなぁ、と思ったコミュ障なのです。
とにかく豪華 プラド美術館展 4/21
はい、ドーン!!!
ビセンテ・カルドゥーチョに帰属(スルバラン?)「巨大な男性頭部」
というわけでプラド美術館展に行ってきた。(導入を変えてみた)
プラド美術館もわりとよく日本に来てる気がする。今回の目玉は、ベラスケスがいっぱいあるってことだそうです。他の展示物もだいたい同じ時代、17世紀前半の、それこそ王様に捧げられるレベルのしっかりした作品が揃っています。
70点程度と数は最近の美術展にしては少なめなのだけれど、レベルが高いのと何よりやたら大きい作品が多いのとで、物足りなさは全くないです。
ミニ図録があるのも良かった。普通の図録より解説量は断然少ないのだけれど、とにかくかさばらない!助かる。
写真が小さいから見づらいかなってのは当然多少あるのだけれど。
細かい絵には見開きでの表示があったりして素敵。
というわけで冒頭の作品(こういう構成にしたことを後悔してる)
これ、ものすごく大きいです。縦横2mくらいある。そのサイズにすごい精密さで顔だけがどん!っとあるので迫力がやばい。
元々は王宮の女王の部屋前に、王宮道化達(小人、矮人)の肖像画とともに飾られていたのだという。ベラスケスのセビーリャの少年とか。だからこれも巨人かもしれないとか、女王の守護を意味しているのではないかとか。
この絵が心理的警備として見なされていたということは、他の道化達もそうなのだろうか。障害とかいう意識はなかっただろうなぁ。あえて汚いものを魔除けにするっていう世界中にあるアレの一種なのかな。
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ホセ・ガルシア・イタルゴ「無原罪の聖母を描く父なる神」
この時代のスペインは世界一の大帝国と言って良いと思う。強いし豊かだし、文化的にも成熟が進んでいる。そんな中で王様が国を挙げて絵画を集めたり画家を召し抱えたりしたら。
芸術は崇高なものだって概念がうまれるんだね。
それまでは個人の自意識はともかく、画業というのは他の家具職人や金物細工と同様、職人仕事だと考えられていた。今の感覚でいうと、工業製品扱いね。
それを、芸術というのは他の制作作業よりも一段階上の、レベルの高いものだという考えが広まってきている。
現代の、芸術的絵画や工芸は大量生産品とは全く価値が異なるという概念が生まれた頃なのかもしれない。人間国宝の陶芸家が焼く皿と、ダイソーに売っている皿。機能的には同じだけれども、多くの人はその方は異なると認識しているだろう。そういう感覚だ。
この絵は神がマリアを描いている。つまり、神様はこの世界を作った芸術家であり、キリストはヴェロニカの布に自画像を残して聖顔布とした画家である≒芸術家は特別!という主張なのだ。
てのは置いといて、単純に綺麗よね。ムリーリョの無原罪の御宿りとか連想する。ちょっと圧が強くてごちゃごちゃしてるかなぁと思うけれど、実物は結構なサイズなのでそれほど違和感なく楽しめる。
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フランシスコ・デ・スルバラン「磔刑のキリストと画家」
対してこちらは非常に簡素なスタイルの絵。描かれているのは自画像とも画家の守護聖人聖ルカとも言われているけど、自画像に一票。
死せるキリストの緊迫感、それを見つめる画家は信仰心だけではないだろう。キリストに会いたいというより、歴史的瞬間を描くためにこの目で見たいという欲求は地獄変のようだと思ってしまう。
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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」
珍しい聖ヨセフの絵。宗教改革を経てプロテスタント達がごっそり抜けた後、カトリックも何もしなかったわけではない。教義的な部分はともかく、批判された腐敗部分はちゃんと反省してるし、内部改革も行なっている。
そんでちょっと微妙になった権威を取り戻すために、こうして宗教絵画も多く制作されたそうだ。老人ではなく壮年の、未来のキリストを思わせる聖ヨセフの絵はこの時代特有のものだそうです。
率直にいってハンサムだし、キリストはキャワワである。
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というわけで内部改革やなんやで結論として宗教的締め付けが厳しかった時代。カトリック国であるスペインでは異教であるギリシア・ローマ神話の絵画や裸体画(神話画はほとんど裸体画だ)はあまり良く思われていない。
とはいえ製作されていなかったわけではなく、個人コレクションとして扱われていたそうだ。
このマルスは武装をとき、つまらなそうな顔をしている。国の力が強大で外交戦術もうまくいき、マルスが活躍する戦争が起こることのない平和さを表し、王の政治手腕を讃える絵である。
野生的狂乱の戦神であるギリシア神話のアレスがあまり好かれていなかったのに対し、ローマ神話のマルスは理性を身につけたのかなかなかの人気である。王の似姿として描かれたり、マルスに扮した肖像画も多い中、全くスペイン王に似ていない(ハプスブルク家の特徴がない)のはやはり平和をもたらす王は別にいるってことなんだろうね。
マルスがこんな表情してるのなかなかないよね。面白い。
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フェリペ・ラミーレス 「食用アザミ、シャコ、ブドウ、アヤメのある静物」
静物画も多く描かれたということで、ブリューゲルの花なんかもあるんだけど。切り取り方の問題なんだろけど、食物が多い。ガラスや陶器といったものがあまりない。
解説によると「食物と人物を組み合わせた絵画であるボデゴン、日本語で言う厨房画」が流行っていたそうで。
食いしん坊?スペイン人食いしん坊なの??
この作品は展示室に入った瞬間こちらの目を引きつける力強さがある。大物ってほどでもない人だし、技量的なことを言えば他の作品の方が上かもなってのがいくつかある。
それでも目を離せなくなる絵はこれだし、全展示物の中で一番印象に残る絵はこれだ。
こう言うのが、好きな絵、というものなんだろう。
音楽への愛憎 資生堂ギャラリー ~ing 4/14
銀座の和光に用があって行った。パフェ券をもらった。
しばらくパフェには困らない身分になった。
銀座に行ったらとりあえず覗く、資生堂ギャラリー。
蓮沼 執太 「~ ing」
からイングと読むらしい。音楽系の展示らしい。公式サイトを見たら、この瓶の画像があった。透明感があってきれい~
入ってすぐ、展覧会によくある「ご挨拶」日本語と、英語と、それぞれに音の波形だろうか。波のシールが横に貼ってある。ランダム波形を貼る意味もないから、普通に音読したものを波にしたものなんだろうなぁ。こだわり。
ヤマハが協力したという今回の展示がこちら。
上から見た図のほうがわかりやすいかな。
銀色に覆われた部屋の中、金色の楽器部品が散らばっている。不思議な音が聞こえ、金属の上を歩く人の音がする。絞られた光源のなかで木漏れ日が振ってくる。
そう、この上歩けるんだけれどすべりやすいしガチ危険なので注意。
床と壁の境界があいまい。
楽器部品を踏むって、音楽好きな人にはどうなんだろうなぁとおもいつつ。
私は全く楽器のできない人なので躊躇なく踏む。昔ヤマハのピアノ教室に通わされていたのに家にまともなピアノもオルガンもなくて(音が出ないオルガンはあった)通うのが苦痛だったことを思い出す。くそぅ。音楽なんて!音楽なんて!!好きだけど。
展示室を出たところにトンボがあるの、面白いw
人が歩いて散らばした部品、適当なところで整備するんだろうなぁ。
なぞの音のする箱や、スピーカー前のなぞの植物。
へんてこだけど面白いねぇ、と見終わったところで、サイトにあった瓶がないことに気づく。あれ、すごくきれいで見たいと思ったのにぃ。
残念です。くそう。
名工の明治 4/4
なんだか最近明治工芸がブームである。
ここ2年くらいやたら展示を見る気がする。今回は竹橋の東京国立近代美術館工芸館。
近代美術館は駅近だけど、工芸館はやたら歩くぞ。気をつけろ。つらい。
やっすい。所蔵品展にしても安すぎる。自宅からの交通費より安い。いいのかこんなに安くて。撮影可能なんてお得すぎる。
最近明治工芸といえば陶磁器や自在金物が目玉に据えられているのが多かったけれど、今回は金属細工による鷹がメインになっています。
鈴木 長吉「十二の鷹」
銃にこのうち一番気にいったの、これ。
自分の足を掻いている鷹。ぬめるような羽の造形がすごい。
こうやって、細工の解説もしています。
これは動作はしないみたい。様々な金属を使って羽の毛筋一本まで細かく作られています。
手にとったら重いのかなぁ。
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二十代 堆朱 楊成 「彫漆六華式平卓」
色の違う漆を何層にも塗り重ね、垂直に掘り下げて模様を出した作品。
断面をよく見ると、重ねた漆でシマシマになっています。
どれだけ時間がかかったのだろうか。見事に華やかです。
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勝城 蒼鳳 「波千鳥編盛藍 渓流」
ぱっと見ただの竹かごというか、大きいけど和食レストランでお絞り乗せて出てくる奴なんだけど。
すごい綺麗なんだよね。
渓流、という名前の通り、中央の竹の流れがとてもダイナミックで。ああ、これは水の流れなんだなぁと左右の抜けの部分も相まって素直に思える感じ。
写真にすると立体感わかりにくいけれど、すごい。
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清水 卯一 「青瓷大鉢」
幾重にも走る貫入が見事な作品。色もとてもいい。
ひび割れの層が光を反射して、宝石みたいに見える。
氷砂糖のような、触れたら砕け散るんじゃないかと思うような美しさがある。
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十二代今泉今右衛門「色鍋島緑地更紗文八角大皿」
かーわーいーいー
こういう絵本あるよね。うん、ある。めっちゃかわいい。
でも何に使うんだろうな。料理とか乗せたらうるさいし、飾り皿なのかな。
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黒田 辰秋「赤漆流綾文飾箱」
何これモダン!本当に明治にこんなの作ったの?て思ったら、1957年作だった。昭和32年、戦後じゃねーか。何が明治だ。
この時代ならまだ納得のデザインかな。レトロモダンな感じ。
昭和かよ!て思っただけで、作品自体はすごく好き。
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初代宮川香山の高浮彫の壺がひと組あった。
十二の鷹は万博向けのものだけど、実用作品が多いのかなって印象。
ここは建物自体もかっこいいし、機会があったらまた来たいなぁと思った。
しかし、駅から遠い。