人の金で美術館に行きたい+読

美術館に行った話とか猫の話とかします。美術館に呼んでほしい。あと濫読の記録。




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触れる謎物体 立体錯視

別に明治大学に縁もゆかりもないんだけれど、明大博物館に行ってきた。
なぜかというと、錯視立体が見たいからだ。


www.meiji.ac.jpf:id:minnagi:20170803013253j:plain

数年前、横浜でエッシャー展をやっていた時に展示されてたのと結構被るなと思った。

右から左に受け流せない話 by みなぎ | エッセイ投稿サービスShortNote(ショートノート)

新しいのもあったけれどね。
ある角度から見たときだけ不思議に見える立体、というのがいくつもあったけど、その正しい角度が指定されないからみんな「え、どっから見るの?」ってうろうろしてた。床にしゃがみこまなければ見えなかったりで、もう少し展示を工夫して欲しい。
ここから見てねマークくらいつけた方がいい。

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落ちない円管

上から見ると円筒の上に球体が乗っているように見える。

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でも実は上部は平らなんだよーん!という立体。こういうのが延々と。
この、影がうまく落ちるように工夫されてるところがすごいなぁと。

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反重力二面屋根

これも同じですね。模型家屋の屋根に球が乗っているように見える。f:id:minnagi:20170803013109j:plain

実際には平らだよ、と。

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この辺はすごい。ツイッターとかで見たことがある人もいるのではないか。
実物と鏡に映ったものが全く違うように見える立体。

気まぐれハート

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実は上部が結構ガタガタしていて、その高低差でなんかうまいことしてるんだろうなぁということはわかる。そこまではわかるけれど、じゃあどうやってるのかはよくわかんない。

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蜂の巣の変身

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角柱のニアミ

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これは角度を変えれば仕組みがよくわかるね。

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くるくる回す立体錯視もありました。

右を向きたがる矢印

 

面白いねぇ。明大の人が作ったのかしら?
お茶の水の展示、結構人気でした。

かわいい悪魔 ベルギー奇想の系譜展

7月の15日に行ってきたんだけど、色々あって書くのがものすごく遅れてしまった。

fantastic-art-belgium2017.jp

www.bunkamura.co.jp

 

ベルギーって大物作家が多いな!って言うのが正直な感想。
ボスとか、ブリューゲル一族とか、マグリットとか、クノップフとか。フランダースの犬で有名なルーベンスとか。有名どころが多く来ていてとてもキャッチ―だ。
しかもベルギーはチョコがとてもおいしい。えらい。

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 ヒエロニムス・ボス工房「トゥヌグダルスの幻視」

放蕩の騎士トゥヌグダルス(左手前、赤い服の人)が3日間地獄めぐりをするという話。
アレゴリーというほどではないけれど、色々と小道具で説明をしているのが面白い。

例えば中央手前の人はサイコロの上にいて悪魔に責められている。中世では賭博は罪とみなされていた。
右側の円筒状の中にいる人は無理やり酒を飲まされている、大食の罪。
ベッドは貪欲の罪だろう。巨人の鼻から金貨が降り注いでいるのは貪欲なものたちに、金なんて汚いものだといいたいのだろうか。
罪を表すという巨人の耳から木が突き出しているのは、まともな言葉を聞き入れることができないといいたいのか。ネズミに目を覗きこまれても動けずにいるのは愚かさゆえなのか。

それぞれの部分が何を表すのか、もう失われた文脈のものも多くて全てを読み解くことはできない。それでもどんな意味があるのかと考えるのは楽しいものだ。

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たくさんの魔物たちは現代の目で見るととてもユーモラスでかわいらしい。当時の人から見るとどうなのだろうか?ユーモラスなのか、恐ろしいものなのか。
頭の上にいるこの魚みたいな子が一番かわいい。
蛇は原罪だね。

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ピーテル・ブリューゲル(父)原画7つの大罪より「傲慢」
ボスの雰囲気を受け継ぐ百鬼夜行
あちこちで使われる鏡は虚栄を表します。クジャクも伝統的に傲慢を表すものだったり、これもアレゴリーに満ちている。

でもこちらの方が理路整然としているんだよね。
ボスみたいなナチュラルボーン・狂気を感じない。やっぱり流行に乗ってやってみたんだろうなぁというビジネス・狂気にしか見えないんだよね。

ブリューゲルはあくまでも絵画作品としてやっている感じだけれど、ボスには本当にああいう風に世界が見えていた可能性が1/3くらいある気がする。
「師匠、どうしてこんなすごい悪魔を思いつくんですか?」
「何を言ってるんだ君、そこにいるじゃないか、ちゃんと写生したまえ」
みたいな可能性が相当にある。

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ピーテル・ブリューゲル(父)原画七つの徳目より「正義」

ブリューゲルは、上のボス風の絵とこちらのようなオリジナルの絵を比べるのが楽しい。どうみてもこっちの方が気合が入っている。多分本人、こっちの画風の方が書きたいんだと思う。おそらくは敬虔なキリスト教徒で、神を讃える者の方が作りたいんだと思う。

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ペーテル・パウルルーベンス原画「カバとワニ狩り」

ルーベンスは版画だけでオリジナルなくてちょっと残念。けれどものすごい躍動感だ。
古い時代の絵は「ああ、この人本当にカバ見たことないんだろうな」ってのも多いんだけど、これは実物を見たことがある人の絵な気がする。
もちろんこれは空想上の風景だけれど、現実味がすごくある。

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フェルナン・クノップフ「もう、けっして」
クノップフが多くてうっとりする。この人の絵は退廃的で耽美的で、絶対に手に入らないものに対するあきらめを込めた憧憬が好きだ。
写真のようにリアルなんだけれど生気が無く、太古の大理石像を見ているような気がする。

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ルネ・マグリット「9月16日」

光の帝国を思い出すね。

ざっくりと描かれたリトグラフ、ちょっと珍しいね。油絵はきっちりかっちり描く人だから。とても美しい色で、こういう作品もいいなぁと思う。

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ヤン・ファーブル「死の死者、慰めの象徴」

もふもふ!もふもふ!
もふりたい。下に広がる羽毛の下に手を突っ込みたい。かわいい。
展示入り口にもこの人の作品があって、それは甲虫を一面に張り付けた気持ち悪いオブジェなんだど、なまえが「ファーブル」だから「え?昆虫記の人?親戚??」と思ってしまう。全然関係ないそうです。

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中世から現代まで、幅広いところから様々な作品を出してきてとても面白い。
現代アートもすごくかっこよくて素敵だなぁと思った。
あと、ねこ。猫がいる。猫かわいい。

猫に会いに行くといいと思う。

愛と憎しみの、猫

猫だよ

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マンション外壁工事でベランダに作業の人がいっぱいいて気が立ってる猫だよ

 

飼い主が起こしても起こしても起きないことに怒った猫だよ

飼い主の瞼にがっつり噛みついて傷を残した猫だよ

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というわけで、治るまで暫く絆創膏で片目生活です。
絆創膏のせいで右目が5mmくらいしか開かないけど、意外とそれでも外は見えるよ。瞳孔のサイズはそんなもんだしね。でも瞬きすると治りが遅くなるだろうから閉じてるよ。

暫くは美術館も映画館もお休みだ。つらみ。

 

腹を出してねっ転がれば絶対になでてもらえると思ってる猫だよ。

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聖クリストフォロスの憂鬱 ベルギー奇想の系譜展

というわけで、ベルギー奇想の系譜展にあるヒエロニムス・ボスの追随者による「聖クリストフォロスの誘惑」について話をしたい。

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この絵をよく見ると、主役と思しき右側で物思いに耽る男性の下に「St. ANTONIVS」、「聖アントニウス」と書かれている。
図録にこの絵自体の解説はほとんどないのだが以下のように書かれている。

この図像の主題は「聖クリストフォロス」とされるが、しばしば「聖アントニウス」と混同された。後のステートである本作では聖人の下に「聖アントニウス」の銘が加えられている。

(ステートとは刷りの段階のこと。同じ図版から何度も刷る場合第Xステートと呼ばれる)

 なぜ聖アントニウスに間違われるのかよくわかる、というか、なぜこの絵が聖クリストフォロスなのか私にはわからない。
この絵には聖クリストフォロスらしさが全く存在しないからだ。

 
聖クリストフォロス、英米文学を読む人にとっては「聖クリストファー」といった方が通りがいいかもしれない。スティーブン・キングの小説で、聖クリストファーのメダルは大型トラックのバックミラーによくぶら下がっているから。
彼については、黄金伝説の3巻に登場する。
本文と訳註を合わせて紹介するとだいたいこんな話だ。

聖クリストポロス、洗礼前はレプロブスまたはレプロボスと呼ばれる男は子供のキリストを肩に乗せ大木を杖にして川を渡る姿で描かれる。
彼の伝説には2つの異説がある。

 

 レプロブスはこの世で一番強いものに仕えると誓いを立てる。
最初は王に仕えるが、王は自分は悪魔にはかなわないという。
そこで悪魔を探して仕えるが、悪魔は自分はキリストにはかなわないという。
そこで悪魔のところを辞したレプロブスはキリストに仕えたいものだと思うが、どうしたら彼に会えるのかわからない。そこで、いつかめぐり逢うだろうと人の行きかう大きな川で川守を始める。渡し人として旅人を担ぎ、杖で自信を支えながら川を渡って通行料を取るのだ。
そんなある日、レプロブスは小さな子供を背負って川を渡ろうとする。軽々と川を渡る彼だが、不思議なことに子供はどんどん重くなり、革の中ほどで動けなくなってしまう。
怪しむ彼に子供は「私がお前の会いたがっていたキリストである」と伝える。キリストを背負うということは世界全体を背負うということなので、それほどの重さとなったのだ。
川を渡りきったレプロブスは信仰に目覚め、クリストフォロス=キリストを背負うものと名乗るようキリストに言われる。また、キリストの命じるまま杖を川辺に指すとそれが大樹となり、それを見た人々はキリスト教に改宗する。
そのうわさが皇帝に伝わり、キリスト禁教にそむいたとして拷問の末首をはねて殺される。

 

別の伝説によると、レプロブスという犬頭人身の人食い族が洗礼をうけてクリストポルスと呼ばれ人語を解するようになったのだという。

 

水夫、いかだ師、巡礼、旅人、運送屋、交通全般、庭師の保護の聖人、転じてトラック運転手の守護聖人となる。7/25のクリストフォロスの聖日には車を司祭に祝福してもらってメダルを受ける習慣がある。運転の雑な人には「クリストポルス様が降りてしまわれる」という警句がある。運/神に見放されるという程度の意味だろう。

 もちろん古い伝説なので異説はたくさんある。
クリストフォロス - Wikipedia
しかしポイントはいくつかある。

  • 子供を担いだ巨躯の川渡しとして描かれる
  • アトリビュートは大きな杖またはそれが変化した木
  • 背負われた子供はしばしば地球儀を添えられ、世界全体と等しいことが示される

当初の絵に立ちかえってみよう。これらのアトリビュートが示されているだろうか?また、絵画はこのストーリーに合っているだろうか?
そして絵画のタイトルを読んでからストーリーを思い起こしてみよう。聖クリストフォロスは伝記中で『誘惑』されただろうか?
正直、今回この絵を見るまで聖クリストフォロスが誘惑されたなんて話は聞いたことが無い。
聖クリストフォロスの定番と言えば、
ヒエロニムス・ボスの「聖クリストフォロス」

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同じくベルギー奇想の系譜展で展示されていたフランドルの逸名の画家による「幼子イエスを運ぶ聖クリストフォロス」はボス風の怪奇趣味を取り入れつつも基本を押さえており、誰が見ても聖クリストフォロスと理解できる絵に仕上がっている。
場面は逸話に従っているし、彼のアトリビュートである杖や幼子キリスト、地球儀もきちんとそろっている。

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なので当初の絵がなぜ聖クリストフォロスの絵なのか、正直私にはわからない。
誘惑される聖人の定番と言えば、サルバトーレ・ダリで有名な「聖アントニウスの誘惑」だから、この絵が聖アントニウスと誤解されたというのも何となくわかる。しかし、聖アントニウスは荒れ野に暮らした聖人である。こんな川辺というか海際は似つかわしくない。アントニウスの絵だとされるも、誘惑されてるから?という程度だし、周囲に魑魅魍魎が跋扈していても聖人はそれも全く目にとめておらず、本当に誘惑されているのかもよくわからない。


細かい確かな筆致で恐ろしくもユーモラスな世界を描いたこの作品は、とても魅力のあるものに仕上がっている。
でも結局この絵は何なのだろうか。気になって仕方ない。

キリスト教、特にカトリックにおける聖人信仰とアトリビュート

週末、やっとこさベルギー奇想の系譜展の図録を回収した。やれやれである。
というわけで、そこで見た聖クリストフォロスの話がしたい。
しかし先に言わなければならないが、今日はその話まで辿り着かない。前提知識を説明しているうちにアホほど文字数をくってしまったからだ。
今日は、聖人とは何か、そして聖人画を鑑賞するポイントとは何かという話で終わる。一般常識かもしれないが勘弁いただきたい。

ついでに言うと今回クソ長い。2千字を超えた。しかし絵画の話にたどり着けていない。なんということだろう。

長いので折りたたむ。

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